ヒットマン阿修羅原さん死亡 ~元ラグビー世界選抜からプロレスラーへ~

■訃報 元プロレスラー阿修羅原さん死亡

元プロレスラーの阿修羅原さんが、4月28日肺炎のたま長崎県雲仙市の病院にて死亡。68歳。
原阿修羅

■阿修羅原プロフィール(ラグビー~プロレス)

1947年長崎県出身。諫早農高―東洋大―近鉄とFWで活躍。1970年~1976年、日本代表。1976年、当時日本人初ラグビー「世界選抜」選出。1977年国際プロレス入団。作家でラグビーファンである野坂昭如氏に「阿修羅原」と命名される。
1981年国際プロレスが崩壊し、全日本プロレス(代表/ジャイアント馬場 放送/日本テレビ)入り。激情家の為、時には他の試合にまで乱入する事から、「ヒットマン」と呼ばれる!!

1987年スター選手、長州力(元五輪アマレス代表)等の大量離脱にて境地に追いやられた全日本プロレスを再生させるべく、天龍源一郎(元大相撲前頭筆頭)と共に「龍原砲」を結成(軍団名/レボリューション)
日本エースのジャンボ鶴田(元五輪アマレス代表)外国人エースのスタンハンセン(元アメフト)元大相撲横綱の輪島大士等と、真正面からの魂ごとぶつかり合う肉弾戦にて、全日を再興。
1994年、盟友天龍の立ち上げたWARにて引退。地元長崎にて高校生にラグビーを教え、静かな生活に戻る。

■「格闘王」前田日明も警戒した男 ヒットマン阿修羅原

全日本のライバル団体である新日本プロレスに当時参戦していた格闘王前田日明(空手) 前田は蹴りを武器にプロレス界で一番危険な男と呼ばれたが、TVで危険なファイトを繰り広げる天龍や原に心底驚く!!

このままでは、ストロングスタイルを売りにしている新日本が喰われてしまう! 以降、より危険な蹴りを打ち込むようになる。 その中、前田は対戦相手長州の視覚から蹴りを見舞い大怪我をさせ、新日本を解雇。 後に前田は語る。「もし、全日本との対抗戦になったら、天龍さんと原さんには相当警戒しながら試合を進めていたろうね…」と。

■ヒットマン阿修羅原 ~まとめ~

現在のプロレス会場には20代~30代の女性ファンが多いと聞く。レスラーは、均整のとれたカッコイイボディを日焼けし、華麗な技で魅了し、内容もマイクパフォーマンスもストーリー性を大切に進めるようだ。が、元プロレス小僧だった自分は、この阿修羅原のような、不器用ながら頑丈な体を魂ごとぶつけるファイトに惹かれる。

ヒットマン阿修羅原は、リング同様、お酒の席でも仲間や関係者を大切にし、豪快に呑み、全部おごったそうだ! 「男という生き様を伝えてくれた阿修羅原選手」本当に有難うございました。天国では、ゆっくり身体を休めて下さい。 合掌