岸哲蔵ルーツ6 ~血はまさにミステリアス~

■ルーツ~「永遠の0」を観て~

先日、遅ればせながら「永遠の0」(作/百田尚樹)を観ました。特攻隊の精神状態状況は勿論、残された家族や「ルーツ」というものの大切さまで考えさせられました。
もし…「1945年」母の父の満州鉄道行きが流れなかったら…母は、中国で生活したのでしょうか?そもそも、僕は生まれてきたのか? 

■ルーツ~年賀状~

今年は結婚し、親戚も増えた(笑)ので、年賀状100枚前後でしょうか?
アドレス帳を開く…「それにしても…親戚はあちこちにいるものだ」(笑)

■ルーツ~血~

僕も兄も山形県米沢市出身。父も生まれも育ちも山形県米沢市。母は父の仕事の関係で新潟県上越市直江津出身の山形県米沢市育ち。
という事で、東北地方中心に親戚が多いです。
[北海道]佐呂間町 [岩手県]盛岡市、奥州市 [宮城県]仙台市宮城野区、仙台市青葉区、名取市
[山形県]酒田市、山形市、米沢市、長井市 [新潟県]上越市

[栃木県]矢板市 [千葉県]千葉市稲毛区、船橋市 [埼玉県]上尾市、川口市、所沢市
[東京都]世田谷区、新宿区、渋谷区、文京区、中野区、江東区、小平市、国分寺市、昭島市
[神奈川県]横浜市栄区、相模原市南区、相模原市緑区、平塚市、藤沢市
[愛知県]名古屋市瑞穂区 [大阪府]大阪市大正区 [福岡県]福岡市博多区、飯塚市 [熊本県]天草市

■ルーツ~血はミステリアス…旅のようで~

父方のひい爺さん岸孫蔵は実業家でした(カクイチ醬油、ほまれ味噌、岸本店…) ハングリーで儲かるとなれば海を渡り樺太(現在 ロシア サハリン)で事業展開。明治時代後期から北海道小樽市に基地をつくり(戦後は函館市)東北では仙台市、福島県いわき市、そして東京は神田松下町にも工場を建てたやり手でした。
その甥達も商魂逞しく満州、大連(中国)朝鮮半島でも商売し、戦争の中シベリア抑留に合ったおじもいました。
樺太

父の家はここ4~5代山形県米沢市を地盤に生活していたようですが、その前は和歌山県から来たのでは?という説を聞いた事があります。
何故、和歌山県か?というと、岸という苗字の由来が和歌山市内を流れる岸川という川を上った「貴志町」という説が強いのです。
また、「醬油や」を稼業にした(90年続く)のも、醬油の本場和歌山県から来たから?

また、こんな話も聞きます。
岸という文字は、そもそも「木」と「子」で成り立ち→「きし」となったという話も。
そう、木と子を組み合わせると→「李」
朝鮮半島か中国から流れてきたのかな?….ミステリアスで想像するだけでワクワクしてきます。

母の父親のルーツは知りませんが、一般的に母の家系は顔のほりがかなり深く、もしや何処からか来たのか?
そもそも、米沢市は「踏み絵」の時(1612年~)長崎に次いでキリスト教徒の方が移り住んだ地域(全国2位 約1万人のキリシタンが米沢市北山原の地に) 可能性はなくもない?
母の母は、富山県の境港から米沢市に移り住んだ家。富山の前は京都という話も…。

まさに、「血」はミステリアスな旅。
命は、自分だけのものではなく、受け継ぎ受け渡して行くもの。
僕と兄の代からは、東京の地に来ました。
誇りを胸に、ここから、今から、未来へ進む。「成功」を信じて。「夢」忘れず。「旅」は果てる事なく。