モハメド・アリ プロフィール「20世紀アメリカの象徴」

■モハメドアリさん死亡

哀しき訃報が世界中を駆け巡る。
プロボクシング元ヘビー級王者モハメド・アリさんが6月3日、死去。
74歳だった。

■モハメドアリ プロフィール「20世紀アメリカの象徴」

モハメドアリはケネディ大統領と並ぶ「20世紀アメリカの象徴」
その実績存在でプロボクシングを「キング・オブ・スポーツ」に。

1942年、米ケンタッキー州ルイビルで生まれる。旧名カシアス・クレイ。
12歳からアマチュアボクシングを始める。
60年ローマ五輪「金メダル」獲得も、帰国後、黒人であることを理由に
レストランで食事提供を拒まれ、金メダルを川に投げ捨てる(アリの自伝より)

プロ転向、64年ヘビー級王座挑戦。
前評判では不利とされるも「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と発言。
その言葉通り、王者ソニー・リストンをスピードで圧倒、世界王者に。
(以降、試合前の記者会見でのパフォーマンスや発言でも世間に注目され、
カードへ繋げる。これは、プロレスから学ぶ。)

同じ頃、黒人指導者のマルコムXの影響を受けイスラム教に改宗。
名を「モハメド・アリ」に。

王者として無敗のままだった67年、信仰とベトナム戦争への反対を理由に
米軍入隊拒否。王座剝奪されるも「私とベトコンの間に争いはない」
と発言。世論に影響を与えた。

3年のブランク後70年にリングに復帰。
74年に当時無敗の世界王者ジョージ・フォアマンに逆転勝利。
7年ぶり王座奪還(キンシャサの奇跡)

76年6月26日、プロレスラーA猪木と「世界一決定戦」(異種格闘技)を行い
引き分ける。
(この試合は、前夜までルールでもめ、互いに恐怖の中、15ラウンド闘う。
後に、猪木の勇気を称え、アリは自分のテーマ曲を、猪木に譲る。
それが、「イノキ・ボンバイエ」…A猪木の入場曲。)
78年レオン・スピンクスに敗れるも、再対決で勝ち、3度目の王座獲得。

81年引退後は国連「平和大使」に。が、パーキンソン病を発症。
96年アトランタ五輪、病気の影響で手が震えながらも、聖火点灯の大役を果たす。
98年ライバルA猪木の引退試合にも駆けつけ、華を添える。
先日、猪木と闘った6月26日が「世界格闘技の日」になる。

■モハメドアリ~まとめ~

モハメドアリは、ただのスポーツ選手ではありません。
ただのスターではありません。
人種差別と戦い、己の哲学を世に問い、試合と同じく闘い続けた偉大なる人物。

世に注目される方、上に立つ方は、努力の上に選ばれし者。
そんな方こそ、モハメドアリの生き方を学んでほしい。
実体験から汗から獲た、モハメドアリの哲学を。行動を。勇気を。

最後にモハメドアリさんの、ご冥福を心から祈らせて下さい。