岸哲蔵ルーツ2 岸孫蔵(魚や~人力車夫~煙草刻み職人~独立)

■岸哲蔵ルーツ 商人岸孫蔵(岸本店カクイチ醤油)

岸哲蔵父方のひいじいさん、商人 岸孫蔵の生涯 岸孫蔵 <h3>■岸孫蔵プロフィール 4度の飛び級 興譲学校へ</h3> 明治10年1月23日 山形県米沢市出身? 父は、反物行商、米屋、油屋、そば粉屋と商売を始めるものの、 全て貸し倒れで、廃業。 貧しい家庭で育つ。 明17 学校入学。 当時は、4時に起床。 「納豆売り」をし、家計を助ける。 10本売れて、一銭の稼ぎ 非常に優秀で、4度の「とび級」2年で卒業する。 明19 高等学校入学(興譲学校)も、学業より「納豆うり」を優先させ、 退学する。

■岸孫蔵プロフィール 11歳 魚屋に丁稚奉公

明21 魚屋に奉公。 明22 魚屋の仕入れを、任せられる。 明23 腸チフスにかかり、40度の高熱が43日続く。 母の寝ずの看病で、助かる。 やっと食が戻り、食べた「焼き栗」の美味しさは、一生忘れない と、亡くなる時まで、語っていたそうだ。 明27 再び、魚屋に戻るも、病に倒れ、実家へ戻る。 個人で、魚行商を始めるも、1年で資金難、廃業。

■岸孫蔵プロフィール 18歳人力車夫になる

明28 人力車夫になる。 高給で、1日10銭稼ぐ(当時、米1升5銭) 顧客は、当時「米沢~福島間」の線路建設をしていた東京から来る鉄道技師と、 他の仲間が怖がり嫌がる、外国人(ロシアの商人)相手を 多く引き受ける。 博打が嫌いで、手っ取り早く儲け、直ぐ博打を始める人力車夫 の環境と、「雨で休みになる」仕事に疑問を持ち、 見切りをつける。

■岸孫蔵プロフィール 19歳 煙草刻み職人 20歳独立

明29 煙草刻みの職人になる。 (雨、風、関係のない所で働きたくて) 当時、普通の職人=1日15銭。  一流を目指し、名人に3両払い、習う。 2週間で、師匠と同じ稼ぎになり、超え、1日60銭稼ぐ。 更に、仲間を集め、作業を「分業制」にし、能率をあげ儲けすぎ、 師匠から嫌われる。 明30 独立。 売上げ順調に伸びる 、、、、 「大火」に合い、全財産を失う! 1度目の結婚→離婚。 2度目の結婚→離婚。 明36 3度目の結婚。 ….「最も、気心のしれた最高のパートナー」と、語る。 商人、岸孫蔵氏の奮闘記…..次回へ、続く~