C級ボールを追いかけて…

■岸哲蔵リアル・ストーリー「野球少年時代」

…記憶…を辿ると、小学校入るまでは、物凄い弱虫でした。

幼稚園時代は、仮面ライダーごっこ の度、
腕白小僧の「なりきりライダー」の餌食になり…
よく、泣かされていたっけ(笑)

でも、小学校に入り、初めて野球ボールを….
そう、C級ボールを握ってから、俺は、変わった。

クラスの誰にも負けまいと、ボールを投げ、バットを振り、
何故か、生まれつき赤色の髪の毛を
五分刈りに、刈り込み….

と、それまでは物凄い内向的だった性格が一変し、
積極的に表に出るようになってきたのです。

学校が終わって、毎日7~8人家に遊びに来て、
膝むいて、ドロだらけになって、 「野球ごっこ」

セーフアウトで喧嘩し、泣き虫野郎と笑い声とが
こだましていて…

カラスが西の空へ帰るまで、
みんなで、C級ボールを追いかけていました
…「また、明日ぁ~~!!」

岸にわ
(ここが、家の庭….野球ごっこ場)

それが、小1~4の途中まで続いたのですが、
ある時期から

…友達が一人も、来なくなった….

ファミコン!!

ファミコン

…始めは、野球・テニスくらいしかなかったゲームソフトが進化し、
よりゲーム化し、複数型になり、
みんな、誰かの家に集まるようになり、対戦ゲームをするか、
一人で部屋にこもるようになった….

高橋名人
(16連射 懐かしき高橋名人)

….強情な俺に、周りの友達もアドバイスをくれるも、
「ファミコンは買わない!!」
と、宣言したものだ。

この年のクリスマスが終わる頃には、
同じクラスの、俺以外の男子21人がファミコンを買ってもらっていて…

さすがに親も心配して、
「1日30分までならやってもいいから、ファミコン買おうか?」
と言ってきたが、
「いらない!!」
の一言で、俺は断ち切っていた。

学校でもゲームの話題ばかりの時は、近づかず、
よく校庭を走ってたなぁ~。

そんで、家に帰ると、怒りと多少の夢をのせて、
毎日、陽が暮れるまで、C級ボールを壁に放っていた。

岸かべ
(実家のコンクリートの壁には…今も….)

野球自体は、地域で一番強いチームだったので、
2年連続地方大会優勝(32チーム。3市5町)
2年連続県大会3位だったが、
正直、上手い先輩方や、感覚のイイ同級生のお陰
だったと思う。

…センスがないのか、本当に上達しなかったなぁ~結局…(笑)

ただ、この時、
ファミコン・ブームに一切媚びなかったのが、
俺の根を作ったような気がする!!

いくつになっても、
いつの時代でも、
立場が危うい時でも、
ブレナイ自分であり続けたい!!

…心の中、時、覗くと….
俺はまだ、C級ボールを追いかけている。¥

ありがとう!!