「川相選手の生きる道」

川相昌弘(巨人)

川合

1989~90年…連続優勝時の、「2番・ショート」
まさに「いぶし銀」
守備ではゴールデングラブ賞6度獲得。

そして何より
送りバント(犠打)
「533犠打」世界記録保持者!

おそらく、川相選手以外に、
日本選手で世界記録をもつのは、二人だけ!
通算本塁打868本塁打を放った王貞治(巨人)と、

年間262本の安打を記録した、イチロー(ヤンキース)

が、
川相選手が、ここまで辿り着くには、大変な道のりが…

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昭和39年、岡山市で生まれた川相は、
岡山南高で、
投手として活躍。
甲子園、2度出場。

スーパーアイドル荒木大輔(早実)とも、
互角に投げ合う程の投手だった。

高校卒業し、ドラフト4位で巨人入団。
が、当時の巨人は、投手王国黄金期で(江川、西本、定岡、角、加藤)
野手に即、転向する。

が、…なかなか出場に恵まれない。
そこで川相選手は、内外野両方を練習。
守備の上手さをかわれ、守備要員で1軍へ。

でも、レギュラーは遠く、
おもいっきり、「スイッチバッター」に転向。
バッターとして、勝負にでる。

が、
「一朝一夕」で結果は残せる程、プロの1軍の壁は低くない。
守備要員のみでの、出場。

足も、とりわけ俊足ではなく…
苦悩の日々を…おくる。

そこで、最後の賭けに…
「送りバント」

当時のプロ野球選手は、まずバントしなかった。
バント=アマチュアの認識すらあったくらいだ。
が、

ここで「幸運の女神!!」
89年から、

つなぎの野球のスタイルをもつ、藤田監督に。
藤田監督

藤田監督は、レギュラー候補4人の中から、
迷わず川相を選ぶ!
「2番・ショート、川相」
川合バント
とにかく、コツコツコツコツ
コツコツコツコツつなぎ野球に徹し、気がつけば533犠打(世界記録!)

成功率は、9割
を超え、代打で登場し、

バントを決める事もあった(ピンチバント?)

勿論、守備は1級品で、元投手だけに、
肩も強かった!
まさに、「一芸に秀でた選手」

晩年、中日移籍の際には、

「選手兼任、メンタル・アドバイザー」という肩書きも頂く。

さすが人と組織のツボを心得た落合監督だ。
苦労人、川相選手ならではの配置!

2006年、引退。
現在は、「巨人1軍ヘッドコーチ」

原監督曰く
「川相は、バントのイメージが強いが、
日本で一番、エンドランの上手い選手でもあった!」
と、バッターとしても、認めていた。
(エンドランとは、送りバントの構えからの、
ヒッティング。
膝が柔らかく、左手が開かないのが、川相の特徴。 この膝の柔らかさは、守備練習の基礎を、人の何倍も繰り返した証明。)

176センチ70キロと、プロとしては小柄であったが、
まさに身体ひとつで、特殊技術を体得し、

「海千山千」「魑魅魍魎」の

「読売ジャイアンツ」
そして、野球界のど真ん中を歩んだ川相。

彼ならではの「眼力」と「ガッツ」、「アイデア力」で、
今度は、面白い選手を育て上げて下さい!
そして、
テレビで観ても「楽しい野球」を、見せて下さい!