親父の背中~2003年の夏~

■「親父の背中/2003年夏」

皺くちゃになった羽根を閉じ、
コウモリの様に吊り革にぶらさがる。
乾いた口底からヤバイ欠伸が漏れだしそうだ。
何時に何があったか?なんて覚えちゃいない。
もう記憶の回路がズタズタで、
破けたページを補修する根気すらない。
それにしても蒸し暑かったぁー。
舌打ちを連打しそうだ。

「喜多見 喜多見」聞き覚えのある名詞が鼓膜を揺らすと、
パブロフの犬の如くバックを握りしめ下車。
重力に無抵抗なまま階段を下り捕虜の様に
改札から吐き出される。

ふぅー。ふいに微風が頬を撫でる。
ここが避暑地なら、せめて多摩川が太平洋なら、
常にラテンでいられるのに。
はぁー、このまま誰もいない箱にこの身を入れるのは辛いぜぇ。

喜多見駅の南側には大きな広場がある。
そこで缶ビールでも呑んで黄昏ようか
広場へ入ると、放置された自転車と自転車の間に
ホームレスのお婆さんがしゃがんでみこんでいた。
褐色を通り越した日焼けが深い皺までめり込んでいる。
痛いくらい哀しい。
この老女は夏だというのに、長袖。
水は飲んでるのだろうか?何か食べているのだろうか?
家族は知っているのだろうか?
俯きながら、溜息つくのも恥ずかしそうにしているその指先は、
夏だというのに被れ、震えている様にも見えた。
見ないふりを決め込みその前を横切るも、
何となく後ろ髪を引かれ、
とりあえずバックの中に残っていたオニギリをあげる。
軽く会釈するお婆さん。それから、時々広場で出くわすと
余っているオニギリやら水のペットボトルを
あげる様になった。

そんなある日、ビニール袋を大切に抱えているお婆さん。
「オニギリでもどう?」と聞くと、
初めてお婆さんは言葉を発する「大丈夫です」と。

それから数日後、広場に入ると、
誰かがお婆さんにビニール袋いっぱいの食材をあげていた。
「いいから、いいから、気にしないで」
ん…記憶のアルバムが巡り出す。
聞き覚えのある声だ。立ち止まり直視すると、
その主は数年ぶりに見る親父の顔だった。

私と親父には確執があった。
今思えば、商売の事やら何やらどう仕様もない
時期だったのだろう。しかし、その傷は化膿し、
それぞれの心も目も言葉をも塞いだ。
まるで同じ極の磁石が反発し合うように。
高校出てから何回会ったのだろう。
数年前会社をたたみ上京し再就職した親父は、
同じ最寄り駅だった。

生意気が眉間からはみ出しきってた17の頃、
1度だけ親父に聞いた事がある。
「何か、俺に伝える事はない?」
親父は「男はガタガタ言わない。背中で伝えるだけだ!」
踵を返し背を向けた親父。
その本質を、周回遅れではあるが、教えられた2003年の夏だった。