BOØWY/伝説

■「BOØWY/伝説」

80年代teenagerを熱狂させ、バンドブームをも巻き起こしたBOØWY。
しかし、彼等は人気絶頂の中、不意打ち雨の様に解散宣言し、
春の嵐と共に思い出に為った!
(BOØWY→Vo氷室京介 Gu布袋寅泰 Ba松井常松 Dr高橋まこと
1988年4月4〜5日/東京ドーム2days「last gigs」にて解散)

時を同じく、
私の母は婦人補導官/防犯課(拳銃を所持しない婦警)
本来の任務は「少年犯罪」(~14歳まで)だが、馬力のある母は、
女性絡みの犯罪(殺人事件、犯人護送、覚醒剤、張り込み、家宅捜査)
をも、紅一点、担当。

母の前職は、「ジャズダンス教室」運営者
(運営教室/米沢市、新庄市。他、山形県内で講師活動)
封建的な米沢という町では、非常に突飛な存在であったが、
ジャズダンスの大ブームとも相重なり、
米沢市のみで会員は200人を超える。
その言動や行動、ファッションまで、
時の女性陣から憧れの的となり、
私の同級生女子からも、
別格的な眼差しを受けていた。

しかし、そんなジャズダンス全盛の中、
高校時代の恩師に頼まれ、
母は全てのダンス教室を閉め、
1984年(昭和59)40歳にして「警察」社会へ転身する。
当時、小学校5年生だった私から見ても、
顔つき、動作、言葉遣い、雰囲気、髪形服装まで一変。
「警察というバッチ」に恐れをなしてか、
同級生達は一線を画し、私に対しても、
一拍どころか、一小節以上、距離を取る様になる。
その原因は、同級生兄の逮捕(傷害事件)と、
同級生母の働き先の一斉摘発(風営法違反)であった。

1986年(昭和61)中学入学。
この中学は、時代背景もあるが、ヤンキー多数のマンモス校。
先輩や同級生が万引き喫煙ケンカ等で警察の世話になる度、
私へは「苦情に近い視線」が届き、陰口という種子が
後ろ髪に付着しだす。
教師という枠組みである地方公務員は、
国家権力の一旦を担う存在の影に、
ぎこちなく対応。

私には、「神童」と呼ぶに相応しい兄がいた。
彼は、学生の模範。常に偏差値は70を超え、
スポーツのキャリア迄も獲得。
周囲の反応等まるで気にせず進む力も根もあった。
母の職業が何であれ、ブレナイ、正に「土台や軸」
そのものだった。
しかし、勉強運動含め、何も確立していない
思春期真っ只中の私からは、
戸惑いしか産まれなかった。
創造性、生産性の無き私は、
テレビや映画や周囲の声に靡き(なびき)、染まり、
心の貼り代はコースからズレ、角度を変え、
やがて捻じ曲がり出した。
気が付けば、兄とは天と地ほどの差が開き、
母とは、対極へと向かいつつあった。
家族と歯車を合わせれば、摩擦熱が帯びそうで、
たとえオイルを継ぎ足しても、
摩耗は商品期限度合いを超えて。

1988年(昭和63)5月の朝、
ビーバップハイスクール(不良少年を描いた東映青春映画)
に感化された私はトオル君風(仲村トオル演じる/仲間トオル)
の髪型に調えるべく、朝食もそこそこに、
短髪の前髪へダイエースプレーを吹きかける。
…ガラガラ…
ノックもなく洗面所のドアが横滑りで開く。
振り返るのすら、面倒臭ぇ。
どうせ、小言を針の様に刺してくるんだ。
あぁー、ウゼェなと、ムカつきを喉奥に飲み込むと。
「ねぇ…BOØWYって何?」
一直線に、母が話しかけてきた。
呆気にとられる、俺。えっ、何故って?
灰色のリクルートスーツ着込んだ母から、
BOØWYという名詞が発せられる事が、意外で。
空気の一変した洗面所で、俺はクシを持ったまま、
変温動物の様に固まる。
何も応えない俺にイラついてか、
「氷室(ヒムロ)って歌手?布袋(ホテイ)って苗字?」
と、低いトーンでありながら、
斜め45度に語尾を上げ、畳み掛けてくる。
だが、次の瞬間、俺は違和感を覚えた。
それは、自分達の世界に、
勝手に土足で入り込まれた感じがしたからだ。
とはいえ、語彙力の欠片もない私からは単語すら発せられず、
舌打ちに近いリアクションしか排出出来なかった。
しかし、それにも関わらず、母の話は終わる事はなく、
「この1週間だけで、BOØWYってバンドの
CD万引きが20件以上なの!」
と、応えない俺をつねる様に問うた!
そして最後に
「そのバンド、流行っているの?」
俺の喉元に刀の刃先を突きつけるかの様に、
斬り込む。
正直、それでもシカトしてよかった。
でも、これは母の疑問ではなく、職務上、
大切な聞き取り調査の様に感じ、俺は初めて口を開けた。
「テレビとか表の人気者が光GENJIなら、
本当の音楽好きの人気者がBOØWY!」
「アイドルではなくて、スターというより、
俺達世代のHEROだから、BOØWYは!」
俺は、後方からの強い視線に負けじと、正面に向き直し、
真っ直ぐな視線で返した。

通常、Live CDやLiveVideoは著作権の権利上、
収録から6ヶ月以上経ち販売するのが決まりだった。
しかし、BOØWYの人気が凄まじく、
東芝EMIは、ウルトラCの如く、
解散1ヶ月での販売にこぎつける。
しかし、二枚組という事もあり、値段も約7000円と高額。
それでも欲しい中高生は万引きへと走った。

BOØWYの解散は社会現象。
こんな、北国の片隅にまで、飛び火。
BOØWYにより、バンドブームが沸き起こったのは勿論、
布袋モデルのギターが売れ、コピーバンドを組む人達の為、
バンドスコアが販売、楽器屋さんレコード屋さん共に、
バブルの中、売上げを伸ばす。
バンドブームも、そもそも音楽のブームすら
半減した現代からは、信じられない現象だ。

BOØWY解散Live「last gigs」累計150万枚。
CDアルバムながら、オリコン年間チャート8位。
ソロになった氷室京介は矢沢永吉バリのカリスマとなり、
布袋寅泰はギターで世界を横断。
そして、昭和最後のSTARとして、音楽業界の礎となり、
ベビーブーム世代の「伝説」となった。