アントニオ猪木/伝説の真剣勝負

■「アントニオ猪木/追悼ブログ」


10月1日、我がスーパーヒーロー、アントニオ猪木さんが亡くなる。
本日は、猪木氏追悼の意味を込めて、
パキスタンで行われた伝説の真剣勝負をお届けしたい。

■「1976年のA猪木」

1976年(昭和51)全盛期のアントニオ猪木は
柔道五輪二階級制覇した
ウイリアムルスカ(オランダ)をKO。
ボクシング史最高の世界ヘビー級王者
モハメッドアリ(アメリカ)とも真剣勝負で闘い、
圧倒的に不利なルールの中、引き分ける。

世界的な知名度を獲たA猪木の元へは、
世界各国からオファーが舞い込む。
その中にはパキスタンの英雄アクラム ペールワンがいた。
これを知った猪木の師カールゴッチは
「パキスタンは危険だからやめておけ!」と忠告。

Aペールワンとの試合は、普段通りのプロレスと決まり、
契約。
猪木は当時の妻/倍賞美津子氏と共に国賓級のもてなしを受ける。
他に帯同したのは、通訳ケン田島、新日本マネージャー新間、
レフェリーのミスター高橋、弟子の永源遥、藤原喜明、キラーカーン。
テレビ朝日のクルー達。

■「A猪木vsAペールワン/突然の真剣勝負!」

試合開始30分前、この試合の責任者(プロモーター)
が猪木側控室へ来ると
「猪木!この試合はノールールの真剣勝負だ!」
と突然宣告。
猪木側は始め「話が違う」と突っぱねたが、
埒があかない。
猪木は「藤原こい!」
と弟子で1番強い藤原喜明を呼び寄せると
冷たいコンクリートの上で、スパーリングを開始。
「よし!」猪木は気合いを入れると、
汗をも拭わずガウンを羽織る。
そして、深い深呼吸を3回。
「行ってくる」と背を向け、戦場と化したリングへ
何事もなかったかの様に、迷わず向かう。

会場7万人の大観衆…
スタジアムの外にも2〜3万人。
リングの周りには、50人以上のパキスタン兵士が銃を構える。
パキスタン国内テレビ生放送
(日本/テレビ朝日録画放送/解説実況なし)

■「伝説のレスラー達の惨敗」

パキスタンのリングでは、ルーテーズ始め
多くのレジェンドレスラー達が、
ペールワンとの試合で突然真剣勝負を挑まれ、
惨敗してきた。
中には、腰の骨を折られた者も。
カールゴッチがキャンセルを勧めた理由は、
そこにある。

■「A猪木vsAペールワン」

ルールは1ラウンド5分。
リング上では普段のプロレスの様に1Rのゴングが鳴る。
「猪木さんは博打が好きなんだよ」
弟子の藤原は後に語る。
「興業面でも何でも面白いと思った事を迷わず選ぶ。
それこそ、半か丁かってくらい簡単に」
それは、リングでも同じだった。

試合開始10秒、猪木は触った瞬間、
絶妙のタイミングでペールワンの腕関節を極める。
アームロックから腕拉ぎ逆十字固め。
しかし、感触が違う。
ペールワンは関節技が決まらない様に、
上半身にオイルを塗っていたのだ。
それでも極めにいった猪木は
「解ったか?」とばかり折れる寸前で腕を離す。
しかし、ペールワンは猪木の喉仏に指を刺してきたのだ。
「あっ、こりゃ最後までの試合だな!」
猪木は真剣勝負のギアをハイトップへ切り替える。

試合は、グランド技術で上回る猪木が
常に上やバックのポジションをキープ。
オイルが塗られていない顔面まで情け容赦なく極める。
手法は荒業。
普段は使わない拳を左右ネジ入れながらの
フェイスロックだ。
しかし、この手の試合に慣れたペールワンも
また迷わず奥の手を出す。
何と、レフェリーのブラインドをつき猪木の腕に
噛み付いたのだ。
だが、猪木はスポーツマンではない。
この試合に限ってはプロレスラーでもない。
野戦に毒された狼だ。
猪木は迷わずペールワンの左目を抉った。
互いに、引くに引けない闇魔に魂まで踏み入れていく。

3R、策士猪木は、わざとペールワンにバックを取らせると、
両手でペールワンの左手首を固め、
密着されながら自ら前方回転。
互いにテコの原理で回り切り、
猪木は左肘を極めたまま、横四方固め。
そして、一気に左手のアームロックを直角に極める。
猪木はレフェリーに「It’s going to break!stop!」
と忠告。
ペールワンにも「C’mon,give up!」と促すも…
「バキーン」
仕方なく左腕関節を二段打ちで外す結果に。
試合はここまで!
猪木が勝利を掴む!

■「ダァー誕生」

試合後7万人の観客が荒れ出す。
自分達の誇りであるペールワンが簡単に敗れたからだ。
兵士達は銃口を一才にあげる。
「猪木さんが撃たれる!」
弟子藤原は猪木を護ろうと、
猪木の前に立ち両手を広げる。
「どけ!」
猪木は藤原をどかすと、
「両手を突き上げ観客へアピール!」
すると、観客は静まりかえり、兵士達も銃口を下げた。
それは、猪木のこのポーズが
「アラーへの祈り」に似ていたからだ。
そして、このポーズは後に片腕で行う様になり
「ダァー」となり、猪木の代名詞となった。