荒川真(ドン荒川)選手また、いつの日か

■「ドン荒川選手死亡」

昨年末、哀しき事実を知る。元新日本プロレス 
荒川真(ドン荒川)選手、死亡。

■「荒川さんとの思い出」

荒川さんとは、以前住んでいた家が近く、
よく愛車フォルクスワーゲンを運転されている
ところを見かけていました。
ある日スーパーに行くとご本人が。
「新日本プロレス時代からのファンです」
と挨拶。プロレス談義に花が咲き、
気が付けば30分。
「強いのは猪木さん。今は小川選手。
皆さん、良い方です」と。
自分の音楽や夢の話をすると、
「岸さんは、目力あって華があるから頑張って!」
と。

自分が多摩川をマラソンしていると、
「あらっ!!」ってすれ違ったり、
ライブ当日急いでいたのに駅でお会いし、
話し込んでしまったり、
車内で座ると、向かい合わせだったり…

有名な方なのに、かなりマメで、年賀状は
手書き。かなり達筆でした。
何よりも素晴らしいと思ったのは
自分の「誕生日」の日
「岸さん、お誕生日おめでとうございます。」って、
電話をくれるんです。

Tシャツにトレパン姿が多かった荒川さんですが、
仕事へ向かう時なのでしょうか?
茶色の渋い柄のスーツ、カッコよかったです。

自分がその地域から引っ越したので、
ここ2~3~年は、お会いして
ませんでした。
いつか、奥さんを紹介したかったし、
音楽やプロレスの話も、もっとしたかった。
気になった時は、会わなきゃ、声をかけなければ
駄目ですね。
今回、痛烈に感じ、猛省してます。

楽しくて、頭の回転が早く、早口。
決して偉ぶらず、大きな笑顔。
そして、尋常じゃなくごついガタイ。
荒川さん、有難うございました。
そちらの世界でお会いした時は、
あの日の話の続きをしましょう。
また、いつの日か。

■「荒川真/人物」

1946年鹿児島県出水市出身 
170cm95kg
高校時代柔道に打ち込み、柔道の鬼「木村正彦」の
指導を受ける。
上京後アマレスに転向。しかし、レスリングの
試合中に相手にプロレス技であるドロップキックを
放ち、失格(その時の相手はメキシコ五輪候補。
元国会議員の松浪健四郎氏)

1972年7月7日新日本プロレス入り。
9月19日グラン浜田戦デビュー。
若手時代のライバルは同郷の栗栖正伸。
鹿児島最強決定戦と呼ばれた。
ベンチプレスが強く「230キロ」記録。
スパーリングもかなり強く、気も強く、
カールゴッチに指導された際、関節を極められ
そうになると、あのゴッチの腕に噛みつく!
以降、ゴッチは荒川氏とのスパー拒否。
道場にて、タイガーマスク以前の
佐山サトルと決闘。
猪木にも果敢にスパーリングを挑む。
ポッコリお腹であるが、股割りが出来、
筋力が異常に強く、また短い為、
荒川選手の腕関節をとるのは至難の業だ。

1979年治安の悪いプエルトリコにて修行。
46戦45勝1敗(負けは、熊?)
帰国後、黒のロングタイツを履き
「前座の力道山」と人気を博す。
1982年日本テレビドラマ「池中玄太80キロ」に
レギュラー出演。
また前座ではシリアスな新日本プロレスに
おいて唯一楽しいプロレスを実践。
得意技にカンチョー攻撃。
あの猪木ですら、荒川選手の試合は
楽しみで控室から見ていた。
他得意技「ジャーマンスープレックス」
「水平チョップ」「サラ金固め」 

80年代前期~後期にかけては道場の指導係。
寝技が強く、若手を極めまくる。
最も可愛がった弟子は、橋本真也選手。
タニマチも多く、現役レスラーでは
1番チケットを売る。
新日本の宴会では、猪木坂口に次ぐ位置。
酒の量はプロレス界一と言われる。
1989年3月新日本プロレス退社。

1990年SWS入団(ブッカー兼レスラー) 
SWS崩壊後は、SWSのスポンサーである
メガネスーパーで働く。
レスラーとしては、フリーとして単発的に
試合出場。
交友関係は広く、長嶋茂雄氏や中曽根元総理
とも親交が。 
2017年11月2日死亡。71歳。

荒川真(ドン荒川)選手の
ご冥福をお祈りします。


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