楽園の国

■「小泉総理訪朝」

…2002年9月17日…
「緊急速報です!小泉純一郎首相が極秘訪朝。
朝鮮民主主義人民共和国最高指揮者、金正日と会談を
もったもようです!」

■「過去との出会い」

…201x年…
灼熱から逃れる様に、私は部屋に籠り、
余計なスケジュールはシャットアウト、
クーラーにこの身を晒す。
PCを開き、右手にマウス、左手には缶ビール。
検索の楽しさにハマり、未知の世界へのknockが止まらない。

…とあるページに釘付けになる…
内容は、私の実家の近くに非公認ながら
「朝鮮学校」があり、そこでの出来事が紹介されていた。

…私の海馬は、昔あった親父とのやり取りを映す…
「昔、商売上手くいってた頃は、従業員、日雇い、
季節労働者合わせて100人以上働いていたよ。
その中に、在日朝鮮人のおばちゃん達もいたんだけど
物凄い働き者で、優しかった。
何だか辛い大根のお漬物をよくお裾分けしてくれたな。
とても美味しかったよ」(恐らくカクテキ)

■「楽園の国」

…昭和20年代後半…
親父が小学校高学年の頃、
実家の工場に資料を携えた人が度々訪れるようになる。
その方々は、とある政治団体関係者。
在日朝鮮人の方々に面会を求めると
「北朝鮮という国が出来ました!朝鮮に帰りませんか?
北朝鮮はとても素晴らしい、夢の国です。
自由があり差別もなく、家族の様な社会です」
と、笑顔で語りかける。
そのお誘いは、昼時、夕時。
休憩時間のホッと一息の場面で…。

■「日韓併合~戦後」

1911年「日韓併合(韓日併合)」
日本と朝鮮半島は同じ国となる(台湾も)。
日本から多くの役人が京城(ソウル)に移住。
経済力、法整備、国際情勢で優位に経つ日本側が、
朝鮮半島を監督していく。
この時代、日本は「大正デモクラシー」
朝鮮人達の憧れは海を渡り、
経済で上回る日本で働く事。
家で働く朝鮮人のおばちゃん達一家も例外ではなく、
命がけで半島から海を渡り、米沢へ辿り着いた。
しかし、時勢は「富国強兵」へと進み、忌まわしき
「第二次世界大戦」へと巻き込まれる。

1945年8月15日「日本敗戦」
朝鮮は台湾と共に日本から切り離され、
日韓併合(韓日併合)は突然幕を降ろす。
日韓併合の終わりは、夢の終焉でもあった。
在日朝鮮人達の心の中では、望郷の念が再燃され、
多くの人々が「楽園の国」の誘いに乗り、
「祖国」へ戻る事になる。
難しい手続きは、仲介者である政治団体に任せて。

■「国交なき日朝/現在」

…201x年…
北朝鮮関連のニュースを見ていた親父が
「どうしたんだろうな?北朝鮮帰ったおばちゃん達は。
ちゃんと食べられているのかな?生きているのかな?
大変な思いしていないだろうか…」
と語り出した。
普段は政治的な事を一才言わない親父の一言が重い。

現在も、日本と朝鮮民主主義人民共和国には
「国交」がない。
それどころか北朝鮮のミサイルは日本へ照準を合わせ、
日本は防御用のミサイルを準備。
本来、それを見守るはずの米中は、ゴロツキの様に
日本海や東シナ海で威嚇し合う。

■「アントニオ猪木死去/訪朝33度」

政治家として命を削りながら33度も訪朝し、
北朝鮮首脳部と関係性を保ち続けた
燃える闘魂「アントニオ猪木」氏は、
昨日、その命を全うなさった。
永田町には、A猪木氏の意思を受け継ぐ肝の座った
政治家も漢も、存在しない。
全く哀しいモノだ。

■「拉致被害者」

北朝鮮は「拉致」を認めた6名
(日本人5人その家族1名/3家族)
を日本へ帰国させたが、
それ以降、何の進展も見られない。
突然拉致された方々の「自由」「権利」「日本への帰国」
は当たり前の話だが、どうするつもりなのだろうか?
そして、楽園の国へのキャンペーンに乗せられ、
移住した方々の自由も、権利も帰国も自由意志であるべき。

■「自由国家」

あの日の罪を、北朝鮮は勿論、乗っかった政治団体、
関係者含め、非を認め、改めるべきだ。
何よりも、「自由国家」「民主国家」として、
互いに向き合える明日を作らなければならない。
国同士境界線あれど、とても似た顔をした、
人間同士なんだから。

■「北朝鮮国家/意味」

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の国旗の意味は、
赤→革命(血と不屈の闘志)
青→平和と独立
白→勤勉や愛国心。