…2011年6月3~5日….
石巻での、短期間の震災ボランティアを行うも、
被害の大きさを目の当たりにし、
やりきれなさが、残るばかり…
そんな中、兄貴から、もう1度、声がかかる。
2011年7月21日(木) 世田谷区松蔭神社
ボランティア約30名 今回はバスで、石巻市を目指す。
日程 2011年7月21日~24日
前回の反省は、片道6~7時間の道のりを、
ボランティア活動した当人達で、運転した事。
3日間での強行スケジュールでの運転往復は危険で、
今回はバス会社に委託する。
■今回の任務
「ヘドロ出し」 「物資配り」 「石巻市女川町視察」
そして、その前段階として
■「津波被害、生の声」
「仮設住宅」で調査をしていた時、ある若い主婦の方から、
「津波被害」時の話を聞きました。
その方のご家族は、祖父・祖母・ご主人・ご本人(主婦)・3才児・1才児。
海岸から、約500mの地域に住む。
3月11日
ご主人は仕事。ご本人は、買い物の為、祖父母に子供達を預ける。
14時46分の地震発生から間もなく、津波発生。
ガラスを突き破り浸水した為、祖父母は孫達を抱え、泳ぐ。
水かさが一気に増す。
なんとか、何処かの2階の建物に泳ぎつき、ガラスを割り難を逃れる。
が、2階まで津波は押し寄せ、屋根に登る。
それでも水かさは増す。
そこへ流れついた冷蔵庫。中のカゴや食材を出して、孫達を入れる。
祖父母は立ち泳ぎで、ようやく安定した場所に。
途中、1才児は冷体温で危険な状況になりながら、
祖父母が身体をさすり温め、助ける。
が、心臓の悪かった祖父は、孫達の無事を見届けながら亡くなった。
まだ若い奥さんは、涙を流しながら、話して下さった。
漁港で仕事中のご主人は難を逃れ助かるが、
家は基礎だけ残り、全壊。
まだ新築。 「住宅ローン」だけが残る。
最後に、祖父へ
「命を顧みず、子供二人を助けてくれて、本当に感謝しているんです…」
俺は、気の利く言葉も伝えられず、ただ、立ち尽くすだけでした。
(津波被害の大きかった、石巻市門脇地区)
(石巻市中心地にも津波は押し寄せ、このアーケードに登る人達が多数。)
この時で、震災から4カ月以上経ち、青空は太陽の陽射しを届けてくれるのに、
哀しみや傷みは、まだまだ、心に残っています。
仮設住宅に住まれてる方々の家の殆どが、全壊または解体するしかない状態の方々ばかり。
「住宅ローン」「車のローン」を抱えたまま。
「住宅ローン返済」は、3カ月だけ待ってくれたそうですが…
■皆さんへ
やはり、現場の声、生の声、現場の汗…
これらが繁栄されないと、大切なポイントからずれる気がします。
いくら、優秀な方が仕組みを考えたとしても
「机上の空論」…空回り…響かない。
しかし、現在は、その論すら、聞こえてきませんね。
3年8ヶ月が経つのに、仮設住宅もないのに、それぞれ、
あの日の自分達へ、少しでも帰られたのでしょうか?
私は、物凄く疑問であります!
….この地震は東北だけの出来事….興味ないって方いましたら、
これからもう少し、このようなブログ書きますから、
貴方なりに、考えませんか?
瓦礫の山は、しっかり「分別」されてました。
日本人の、物事に対する細やかさを見ました。
国のしっかりとした「方針」….求められています!!
もう、3年8ヶ月なのですから。