2011年6月4日 宮城県石巻市・渡波駅前でのボランティア活動を終えて、
地元の方の案内で、被災地を視察しました。
石巻市中心街、商店街、日和山(ひよりやま)公園。
そして、
最大の被害地域の沿岸部へ。
沿岸部から500メートル。
車が、ぐちゃぐちゃです。
プロパンガスは、
津波で流されただけではなく、炎もあげたそうです。
この一帯では、火災がおきました。
当時の記憶で痛烈に残っている事は、
「喉が、異常にヒリヒリした事です。」
そして、すえた臭いが。
この先にある町は、魚町。
水産加工工場がひしめきあった港なのですが、
その地帯の魚が腐ったようです。
時期的には、初夏。
大量の「ハエ」が発生し、衛生面でもよくなかったです。
そして、一番被害が大きかった地域である、
沿岸部の水産加工工場、製紙工場へ。
沿岸から200メートル。
当時、ここまで来ると、ほぼ、自衛隊と警察官。 あとは、巨大重機ばかり。
この辺りで唯一のボランティアは、
腐った魚の処理です。
ハエもひどかったのですが、
「海鳥の数が半端じゃないんです!」
でも、
海は恐ろしいほど、穏やかだった。
3・11 石巻市では、最大18メートルの津波がきたと聞きました。
津波の恐ろしいところは、 「引き」は、
押し寄せる波の、「7倍の力」があるそうです。
この一帯の時計は、15時45分で止まっていました。
おそらくは、缶詰め工場のものでしょう。
石油タンクくらい巨大な物でしたが、津波の一撃で倒れたそうです。
沿岸部一帯、まるでバリケードのように、永遠と続いていました。
現在は、どうなったのでしょう。
当時のメモ帳にも載っていたのですが、
驚く事に、この瓦礫からは、常に「白煙」があがっていました。
兄貴の話だと、
「瓦礫が発酵すると、80度くらいの熱をもつ」そうです。
高速道路から見た、仙台若林の海側も同じ風景だったと記憶します。
もしかしたら、僕らがすえた臭いと感じるものは、
魚が腐ったものだけではなく、瓦礫と関係性あるのではないでしょうか?
ただ、震災から80日。
水産工場復旧へ向け、取りかかってる工場もありました。
「港の人間の強さ」を、「団結力」を感じ、熱くこみ上げる思いが
ありました。
今現在、どうなのでしょうか?
震災で皆さんからつのられた募金は、しっかりと使われているのでしょうか?
先日、とある地方紙を読むと、今も「寄付金」を頂きましたという、
コーナーを見つけました。
それなのに、仮設住宅は取り壊されて、沿岸部の線路は作らないまま
場所によっては、空白の時のような状態そのままだそうです。
2020年東京五輪も大切だし、そこへと向かう希望や、
五輪へ向かう公共事業等で、
多少、経済的には良くなるかもしれませんが、
だからといって、このまま放置して良い問題ではありません。
「がんばれ、東北!」と、言うのは簡単だし、
TVで、震災をテーマにした曲を流すのも大切かもしれませんが、
あの日で大きく人生を変えてしまった被災地の方々へ、
しっかりと整備された「未来図」を、示してほしい。
ある偉い方が、我々日本人には「知恵」 がある!
そこから産み出す「アイデア」も「技術」も
「気持ち」も「情が」も、ある!
と、声高々に言いました。
3年経てば、復興するとも、言われてきましたが、
現状はどうなのですか?
我々は、自分のくらしばかり見ていてはいけません。
自分の地域以外だからと、忘れてはいけません。
同じ国で、たかだか3年前におきた、とてつもない災害なのです。
過去ばかり見るなというかもしれない。
でも、現在の立ち位置の支えは、過去の恩恵であり、
周りの方々のお陰。
「新しい」を創りたいのなら、そもそもの土台を直そうよ。
経済語るなら、日本の部品メーカーをしめた、この界隈を救おうよ。
海外が安いと目先ばかりを追いかけたら、
この国はどうなるのですか?
衆議院選挙も行われます。
「どうでもいい!!」というのなら、何がおきても、
何が始まっても、文句は言わないでね。
一票を投じないとは、「好きにして!!」であり
全ての決定に対して「賛成」なのである。
崖っぷちじゃ、遅すぎます。
あなたのスタンスを、差し伸べて下さい。
そんな100%があったなら、
「新しい、素敵な日本が生まれる!」
「俺達のこの手を、未来に伸ばして!」
復興を成し遂げよう!!
….震災ボランティア1(2011年6月3~5日)….