岸哲蔵のライブを振り返ると、スタイルは変わりないようで、
実に….変化を繰り返している。
★スタイルの変化
高校時代(1991)
バンド名→ BFP(コンプレックスのコピーバンド。ボーカル担当。)
….コンプレックスのライブビデオを購入。アクションからパフォーマンスまで研究。
「なりきり吉川晃司」で、暴れまわっていた。
歌というより、盛り上げてなんぼ!!という感じで、本能むき出し、
意味もなく飛びはね、腰をふり歌う。
得意は、正面への二段蹴りと、ジャズダンスの2回転ターン。
19~21歳(92~94)
カラオケ (ほぼ、オーディションのみの活動。)
…沢山のオーディションを受けましたが、
事務所以外は、受かりませんでした。
事務所に言われた、俳優のオーディションは、
歌がやりたかったので、
全部断りました。
本音は、カラオケじゃなく、オリジナルを創り、
歌いたいな…と、感じ始めた頃です。
20歳(93)
デュオ(事務所で売れない者同士組み、アコギ2本で、路上活動。)
…練習するのに、自分は小金井市在住で、相方は茨城の土浦市在住で、
オリジナルやる楽しみはありましたが、動くのでやっと。
相方が大阪に帰る時、「てっちゃん、頑張りや!」と、
エレキギターをくれました。
…信ちゃん元気かなぁ~
22歳
デュオ名→ ヴェージェル(岸ボーカル&アコギ。相方キーボード。)
…立川市の「アクト」で練習後、「ボーカル募集」の張り紙をみて、
電話。
と、同じ山形出身のキーボード奏者で、意気投合….
実は、他に2つボーカルの誘いがありましたが、ここに決めました。
アレンジは相方の昭島市のマンションで、こつこつ作業し、
相模原市の「フィリピンパブ」に、毎週金土、2ステージずつ出演。
が、オリジナルは禁止で、サザンや安全地帯など、バラード中心の構成。
途中から、しっくりこなくなり、三鷹駅のホームで喧嘩になり、
そこで「解散…」
半年ほどの活動でした。
24~25歳(97~98)
弾き語り (オリジナルのみ。)
…当時は、三鷹市にある「三鷹楽器ロックスポット」というお店で、
練習してました。
凄い当時は神経質で、冷房切ってから5分後に入出するような変わった人間で、
平気で、5時間続けて歌ってました。
お店とも凄い仲良くなって、お祭り紹介してもらったら、
このお店で経営してる「フォーク・カントリー」に、よく出てました。
が、一番景気の悪い頃で、お店を閉める事になり….
閉める間際、お店に行ったら、店長さんが、
「岸くん。このギター、安くするから、買わない?」
それが、ギブソンSJ200っていう、50万くらいのものを、
18万で!
しかも、品番が1番。
日本にこの年一番先に入った、ギターだと….後で知りました。
店長さん、旭川帰ったのかな?
今、俺のライブ、観てほしいな…
この頃、某レコード会社の新人育成部門に入り、
時々デレクターに呼ばれ、審査されてました。
テレビ収録で、スターの前座もありましたが、テレビ映ったのは一瞬で、
厳しい世界だな….と、心底思いました。
この時期、限界を勝手に感じ、夢から遠ざかりました。
32歳6ヶ月(2006)
弾き語り(オリジナルのみ。)
もう1度、夢に再チャレンジを決心!
じっくり歌い叫び綴るスタイル。1年間は、完全に一人で、
新大久保クラブボイスにて活動。
33~40歳(2007~現在)
デュオ(アコギ2本。オリジナルのみ。)
新大久保クラブボイス、テレビ朝日umu、吉祥寺曼荼羅、
米沢LIVE-ARB、四谷天窓….など….
しっかりとした、ギタリストと組む事で、
特にリズムと、アレンジの意味合い、シャクなど、
勉強込みで、吸収するものが多い。
現在は、バンドと同じくらい、力を入れようと思っています。
躍動の面では、バンドよりおちますが、
「歌詞」をお届けする部分では、凄くいいです。
…元業界関係者の方の提案で、
デュオ+「トークライブ」も2度行いました。
駒込の山形の学生寮なのですが、100名の前で、
トークのみで20分というのは、
どうなるものか?と悩みましたが、
自身と照らし合わせて、昭和50年代や、バブル、
農業なども話ました…
最後は政治に文句つけて、見にいらしてた先生に嫌な顔を
されましたが….反省する気は、全くなし!!
お話下さった方曰く、
「アーティストは、いつでもラジオ番組もてるくらいじゃなきゃ
駄目ですからねぇ…」
今は、また、トークは削りぎみですが、また、トークを
重要視する時期もくるかもしれませんね。
33~40歳(2007~現在)
スリーピース・スタイル(岸歌のみ。アコギ。ウッドベース。)
新大久保クラブボイス、吉祥寺曼荼羅、葛西ゴローズキャフェ….など….
34~40歳(2008~現在)
バンド(岸歌&時にAG。EG。Ba。Dr。)
赤坂カンティーナ、下北沢ラウン、新大久保クラブボイス、
吉祥寺曼荼羅、小岩ジョニーエンジェル、吉祥寺BLACK AND BLUE、
米沢伝国の杜、米沢LIVE-ARB….など….
….で、岸といえば、声量のある声と共に、
アクションやパフォーマンスも!
始めは、二段蹴り、アコギで終奏のしめに飛び蹴り….くらいでしたが….
初めて「ホール」でワンマンする時、もっと何かほしい!!
と思い、空間埋める為にも、
旋風脚(回転し横からの二段蹴り)、ボクシングスタイルをとり入れる。
その中、徐々にパフォーマンスも増えて
2012新大久保クラブボイス~からは、「さいなら」という曲で、
マイクをもち、観客席なだれこんで、共に歌うスタイルを!
2013上野アプロでは、お店に「脚立」があったので、
途中からステージ下に脚立をおき、
ここぞとばかり「脚立」ののぼり歌い、あおる…..
2013新大久保クラブボイスからは、「さいなら」で
観客席おりて歌うとき、マイクケーブルがあちこち引っかかるので、
「拡声器」を持参!
と、岸哲蔵ワールドを築いてきましたが、
2014赤坂カンティーナLIVEでは、これらを全て行いました。
当然、盛り上がるのですが、
終了後、ご意見も多く頂きました。
勿論「楽しかった」「凄かった」「熱かった!!」「声量がハンパない」
が、
あのボクシングが「暴力的要素をうみ、ちょっと引いた」
あと業界の先輩からは、
「せっかく良い曲を、良い歌詞で、上手いメンバーで歌えているのに、
ひとつのパフォーマンスが出るたび、前の歌詞が消えていくよ!
….伝える事は、尊いもの。意味のある動き以外は、歌詞に連動するもの
以外は、極力やらない方がいいよ。」
…確かに、笑い話も、多少のパフォーマンスもアクションも、
大切。
が、一番大切なのは、「オリジナル」の意味なのだ。
このバンドに辿りつくまで、めぐり合うまで、これだけの
「時」を流れてきた。
それは、己の「思い」を届けるための、滑走路だった。
もう1度、基本へ戻る時ですね。
「実体験」から、故郷、労働、恋愛、汗、家族、仲間、兄弟を
伝えなきゃいけないんだ、俺は!
「原点」へ戻る時。
次のライブは、己の世界観という故郷へ帰るライブだ。
5月31日(土曜)下北沢ラウン
岸哲蔵&林数馬 共同ライブ「天命」
19時スタート
岸哲蔵は、20時~