大晦日「NHK紅白歌合戦」にて、松田聖子が18回目の出場にして
初の大トリを務める事になりました。
■松田聖子デビューまで…
1962年 福岡県久留米市出身 本名 蒲池法子
蒲池家は、柳川藩の藩主、蒲池鑑盛の三男の血筋で、
父は、国家公務員という厳格な家に生まれました。
デビューのきっかけは、高校1年のCBSソニー主催で行われた
「ミス・セブンティーン コンテスト」
参加理由は、優勝者が「アメリカのディズニーランドへ招待」
(日本にはまだありません)
と、審査員が、憧れの郷ひろみだった事。そして、この大会に優勝する。
この時の松田聖子の声に、「この子は絶対に売れる!」と、
CBSソニー製作部からスカウトされるが、
厳格なる父と母に反対され、1年半かけて、やっと上京する。
CBSソニーでは、両親の反対を押してまで上京させたという事で、
面倒見の良い、相澤社長に託す。
これにより、サンミュージック所属になる。
そして、1980年4月1日、「裸足の季節」でデビューを果たす。
■「聖子ちゃんカット」
80年デビュー曲は洗顔料「エクボ」のCM曲に採用されるも、
松田聖子には、エクボがなく、声のみの出演。
が、歌唱力がアイドルとしてずば抜けており、徐々に売れ出す。
3ヶ月かけて「裸足の季節」に陽があたり、TV出演。
この時の髪型が可愛いと、火がつく!いわゆる
「聖子ちゃんカット」
この聖子ちゃんカットは中高生中心に大流行し、当時のアイドルまでも、
殆ど聖子ちゃんカットになる。
が…82年、突然ショートカットに。
と…他のアイドルも殆どショートカットになる!!
バブル時代(87~90)に流行った「ソバージュ」も、実は日本で初めて
松田聖子が83年に披露し、ジワジワと火がついたものだ。
■「ぶりっ子」
[ぶりっ子の意味….可愛いふりをしている]
松田聖子=聖子ちゃんカットであり、松田聖子=ぶりっ子でもある。
が、ぶりっ子の由来は70年後半に流行った漫画の中の言葉で、
この漫画の著者は、石野真子をイメージしたようです。
が、聖子ちゃんブームの中、この言葉がまるで吸い込まれるように
聖子ちゃんマグマにのみ込まれたのです。
81年。聖子ちゃんブームに、アンチの女性が出現。
山田邦子と、漫才師の春やすこ・けいこです。
松田聖子をネタでいじる事で、この2組はメジャーとなり、
山田邦子に限っては、松田聖子をモチーフにした曲が、
ヒット!
(バスガイドスタイルで→可愛い子ぶりっ子ぶりぶりぶりっ子I LOVEYOU LOVE…)
■松田聖子ヒット曲
~アイドル時代~
1980年 青い珊瑚礁 1981年 風立ちぬ(曲/大滝詠一)
1982年 赤いスイートピー(曲/呉田軽穂)
1984年 ロッキンルージュ(曲/呉田軽穂)
1985年 天使のウインク(詞/曲 尾崎亜美)
~ママドル時代~
1987年 ストロベリータイム 1988年 旅立ちはフリージア
~アーティスト時代~
1996年 あなたに逢いたくて(詩/松田聖子)
■まとめ
現在までのアイドル全て含め、デビュー時、松田聖子ほど歌の上手な人物は
いただろうか?
松田聖子の凄いところは、勿論、歌も上手いところだが、
「聖子ちゃんカット」が物語るように「ブーム」を生み、
常に「話題」をも提供しているところだ。
アイドル全盛に結婚し、子供も産み、更に「ママドル」で活躍し、
プライベートの面でも、色恋沙汰含め、常にマスコミをリードしている。
もう、自己プロデュースの達人であります。
彼女は、アイドルじゃなくても、商売当てたでしょうね。
時代を相手を空気を常に先読みし、先取りし、リードして行く…
あのマドンナと、いい勝負ですよ。
ただ、やはり歌い手としての実績も物凄いのです。
それは、あの日本武道館で、102回もLIVE成功しているのです。
これは、「日本のロックの帝王」矢沢永吉に次いで、2位!!
なんだかんだ….なんだかんだ….なんだ…かんだ….言って、
松田聖子は、「歌発の歌行き」
日本女性最高のシンガーの一人です。
クリスマスの夜に「聖なる聖子ちゃん」を特集しました。