尾崎豊~忘れな草(6)~

■尾崎豊 忘れな草

2013年…とある日

渋谷の街に疲れ、
246を六本木方面に歩いていた。


あてもなき,あてもなき歩の前に、

巨大な、東邦生命ビル渋谷クロスタワー)が。

….時は、再び90年代へ….
このビルの2階の踊り場には、
「尾崎豊モニュメント」があり、


連日ファンが集い、集会を開いたり、

この赤レンガに思いを綴っていた。
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自分も気になり、何度か足を運んだし、
ここでギターを弾き、

歌った事も。

….尾崎豊モニュメントの前
俺はひとり目を閉じ、東京の日々を思い出していた。
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1995年~

事務所を切られ、デュオを組み、フィリピンパブで歌ってた事。
ライブが盛り上がらず、酒吞んでくだをまいてた事。
テレビの企画で、スターの前座も、全く受けず、
渋谷を朝までさまよった事。

1998年
ギターを押入れの奥にしまい込み、音楽を諦めた事。
2006年4月12日
音楽活動を再開。もう1度、夢を追い出した事。
そして、
仲間が一人、また一人とサポート頂き、バンドになった事。

2010年
みちのくレコードと契約。シングル、アルバム発売。
そして、契約終了。
2012年4月1日
ジョニーエンジェルLIVEより、岸哲蔵個人で、
再スタートし、今….

….ここから見る「夕焼け」がキレイで、
尾崎豊少年は、学校帰り、この場でギターを握り、
燃え尽きる西の空に、同化していたと、聞く。

解り合えない「大人達」そして「社会」
疑問だらけの複雑化した答えのない方程式にもがき、
彼は、孤独の中、日々、この場を訪れていたのだろう。

夕焼けに心を預け、暮れ行く街並みに瞳を閉じ….
尾崎モニュメント4

….都会は孤独なとこだ。
すれ違う人が多ければ多いほど傷つき、つまずき、
ため息に打ちのめされる。

心の片隅に耳を傾けてみた。
小さな、小さなメロディが、ほら、流れてくるんだ。

そして、いつしか俺も、
この場で、歌うようになっていたんだ….

                   ~つづく~