「返事のない手紙」 ~川口のおじちゃん…ありがとう~

7月15日…物凄く仲良くしてくれた川口の叔父ちゃんが亡くなった。まだ、68歳…早すぎるよ。

■川口の伸おじさん

叔父さんは、父の従兄弟で、実は初めて会ったのは7年前…2008年5月4日。場所は、高円寺ムーンストンプ、自分の弾き語りのライブでした。
2006年4月にライブ活動を再開した自分ですが、もっと自分の歌を聴いて頂きたく、在京の父と母の親戚全てにライブのお誘いの手紙を出していました。そして、それを読んだ叔父さんは、律儀に応援に。

ライブ後、挨拶したのですが、如才ない方で、笑顔で音楽や映画や政治、そして米沢の事など…気がつけば終電間際まで、酒を酌み交わしながら話ました。
それから3年、曼荼羅(吉祥寺)新大久保クラブボイス(新大久保)テレビ朝日umu(六本木)ライブと、会場へ足を運んで下さり、ライブ後、話こんだものです。

■アルバム「BROTHER」レコ発ライブ ~米沢 伝国の杜ホールライブ~

2011年…念願のCDデビューが決まり、アルバム「BROTHER」を制作。地元米沢市にある伝国の杜にてレコ発ライブを行いました。

YOUTUBEで観て頂ければ解りますが熱い熱いライブで、会場の370人と共に燃えあがりました。
岸両手上
ライブ後、会場出入口にてお客様に挨拶していると….「哲蔵さん…おめでとう!!とっても良かったよ。これからだねぇ!!」…なんと、振り向く先には伸おじさん。 なんと、川口から平日忙しい中、わざわざいらして下さったのです。

「叔父さん。有難うございます。これから、打ち上げあるので、是非、呑みましょう」(自分)と言うと、「申し訳ない。明日朝からお客様と打ち合わせあるから、今日は失礼します。」(伸おじさん) 「えっ、もう新幹線の最終ないですが….」(自分) 「…いやぁ~、深夜バスで帰るから~…」(伸おじさん)そして、おじさんは手を振り、会場を後にしました。

■4年ぶりに、ライブ会場にて…

それからは、親戚の集まり等で再会し、また色んな話をしながら呑みましたが、実はライブにはタイミング合わずお越し頂けませんでした。

2015年1月18日、ジョニーエンジェル新宿(新宿)…この日は、年末の衆議院選挙で善戦した実兄岸たけし君と、岸哲蔵のコラボライブを企画したのですが、そこに久しぶりに伸おじさんが見にいらっしゃいました。

まずは、兄のトークライブ。内容は政治に限らず、行政や専門機関、そして、本人が一番関心をもつ、「新エネルギー」の話に。トークライブは、質疑応答となり、そこで、伸叔父さんが手をあげたのです。

「太陽光発電の件ですが、とても新しい考えをもとに話されていて、勉強ななりました。ただ、経費の面で言うと、太陽光を使いたいのは山々でも、資金が足りなくて難しいのが現実です!」…そう、伸おじさんは、一級建築士で、設計事務所の経営者。

「政治は理想を追うのは大事ですが、経費の面も見てほしいし、補助金なんかしっかり出来る制度作りをして頂きたいです。。」 …静まりかえる会場…..。

でも、僕は嬉しかったです。だって、予定調和なんかつまらないじゃないですか。企画者的に、「さすが、伸おじさん!!」…お陰様で、他にも質問が出だし、次の岸哲蔵ライブも、大盛り上がりでした。

■伸おじさんと呑む

ジョニーエンジェル新宿ライブも終了し、会場で軽く飲んでから、兄と相方や友人夫妻と当時の彼女(今の奥さん)伸おじさんで、歌舞伎町で呑みました。…親戚で、今の奥さんを初めて紹介したのは、伸おじさんでした。
「結婚、考えているんですよ。式は、是非、いらして下さい」(自分)「絶対いきますよ!!」(伸おじさん)

呑んで呑んで呑んで、年齢も性別も出身地もバラバラなみんなで、本当、ほんと、愉しかったなぁ。…僕とおじさんって、実は内容は言えないけど、同じ境遇なんですよね。しんみりと、そんな事も話したし、おすすめの邦画や、パソコンの事も話したなぁ。
一番嬉しかったのは「哲蔵さん。…腕、あげたねぇ!」 本当、苦しい時期に応援頂いたし、バンドの流れも見ていて下さったし、飛び上がりたいくらい、嬉しかったなぁ。

呑みは、初対面の相方や友人や今の奥さんとも、愉しそうに経験含め、バカ話込みで、話されていました。で、支払いは割り勘のはずが、「俺みたいな年寄り混ぜてくれて、ありがとうねぇ」なんて言って、ポーンと出して下さって….

「また、逢いましょう!!」 …あの、哀しいよ。またって、本当にない事があるんだね。

おじさんの死を、みんなに伝えました。…みんな、一瞬絶句で。その時地方にいた奥さんにも伝えたけど、お互い声が出なくて、無言電話。

■伸おじさんの、お葬式

お葬式は、西川口。そう、おじさんが小学校の高学年の時から、ずっ~と過ごした町ですねぇ。米沢から、何も知らない西川口に転校して、小さな弟さんもいて、なれるまで苦労したそうです。 でも、西川口の駅を降りたら、おじさんの名前の書かれた葬式の案内版、沢山ありましたね。

おじさん…長く過ごした町に、確実におじさんの名前が一色、プライドと魂掲げて、立ってたよ!! 伸おじさん、しっかりと、この目に焼き付けたから!

しっかりとお話するのは初めてだったおじさんの奥様が「テツ君でしょ。ライブのご案内のお誘いは、いつも主人が仏壇にあげていましたよ。」…心に、腹の奥までグッときました。
伸おじさんの二人の息子さんや、息子さんの奥さんや、お孫さん。皆さん優しくて、キレイな目をなさってました。

お葬式は、参列者の殆どの方が、泣いてた。でも、自分は歯をくいしばり絶対泣きませんでした。 だって、おじさんはいつも笑顔だったから!!

■伸おじさんへ…

伸おじさん、早すぎますよ。俺ね、もっと突っ込んで話たい事や、伝えたい事もあったし、もっとイイ歌届けたかった。 俺、当分、引きずります。そして、一生、おじさんの存在を大事に、言葉や思いや笑顔を大切に生きます。

伸おじさん。あの、次の呑みねぇ、もうちょっと待って下さい。そうだなぁ~、俺も色々やり遂げる事があるから、四半世紀ほど、待っててねぇ。

■数字の持つ力

おじさんとの事を、一つ一つ振り返ってたら、ある事実に直面しました。
おじさんと初めて出会ったのは、2008年5月4日ですが、この5月4日は、田中角栄の誕生日。僕は田中角栄のファンで、おじさんは田中角栄と同じ、一級建築士(初代の、一級建築士が、田中角栄)

5月4日…ただの数字だけど、大切にしなきゃ。
おじさん、俺、歌ももう少し頑張るから。だって、俺は岸哲蔵だから。じゃ、また!! see you next time 伸おじさん。 合掌