会長と呼ぶおじいさん~黒金泰美元官房長官~

■田中角栄と中川一郎のファン

…実は子供の頃、自由民主党の派閥を全部言えました(笑)
大きい派閥が田中派(佐藤栄作の流れ)福田派~安倍派(岸信介の流れ)で、
大平派~鈴木派~宮沢派(池田勇人流れ)中曽根派(河野一郎の流れ)
で、左っぽい?三木派と少数タカ派が中川グループ(石原慎太郎)

子供の頃は意味も解らず田中角栄の演説にお腹かかえ、
あの眼力と引力に魅せられた、角さんファン。
あと、ずーずー弁で力感みなぎる「北海のヒグマ」
中川一郎が好きでした!!

じゃ、何故、子供の頃、そんな政治に興味をもったかというと、
友達のおじいちゃんが木村武雄元建設大臣。
あと、もっと、ハっとさせられたのが
….黒金泰美元官房長官…との遭遇でした。

■祖父の家~カクイチ醬油ほまれ味噌

黒金泰美元官房長官の話の前に…
醬油味噌の蔵元(カクイチ醬油、ほまれ味噌)だった
父方の祖父宅。
ここは孫ながら敷居が高く、空気も重く、
緊張しました。

祖父も祖母も掴みどころがなく、
襖の向こうが本社事務所と言う事もあり、
ピリピリとイライラ感も同化。

そんな時、優しいひいばあちゃん(君おばあちゃん)
か、ワンコのチビが相手してくれたぁ。
この、ひいばあちゃんが良い方で、
僕の誕生日の時なんか歩くのがやっとなのに、
毎年ケーキを買ってきてくださって。

話戻り…この祖父宅がどれだけ落ち着かないかと言うと、
茶の間の天井約4m。
庭園に池が段々にあり、
真っ赤な橋がかかっていて、鯉が40匹くらい泳いでるわけです…。
叔父なんかが、めんどくさそうに餌をブン蒔くと、
鯉がバタバタ、餌の取り合い….
(幼少期は、この鯉にびびってました。
お祭りでもらったキレイな金魚を池に放したとたん、鯉が…ひと飲み)

そんなこんなで、孫という事で
時々お邪魔していると、色々な場面に出くわしました。

社長(祖父)の元へ、御包み持ち、色んな方が挨拶。
おそらくは、大事なお客様と判断した場合、
ひいばあちゃんの部屋に行くように
言われます。
が、お仕事?なのに、そこに居るように言われる時も。

今思えば、祖父は断りたい時や早く帰ってほしい相手には
この手法をとった気が。
京都に通い、商売を習った2代目の祖父は、
成り上がりで元気と男気で昇りつめた初代(岸孫蔵)
とは、また違う、性質だったようです。

ただ、交友関係が広く…文芸春秋の千葉源蔵元社長も
時々いらしてました。

■会長?

そんな祖父を殆どの方は「社長」または「岸さん」と呼ぶのですが、
一人だけ「会長」と呼ぶ方が。
「会長??」
そして、後に、このおじいさんが亡くなった事を知ります。

祖父?いえいえ、TVを点けたら、アナウンサーが訃報を伝えていたのです。

「元内閣官房長官、黒金泰美氏が、お亡くなりになりました。」…と。
えっーー!!
そんなに偉い人だったのか!!
それから2~3年は、政治家にはまりました。。。

■黒金泰美元内閣官房長官プロフィール

1910年 山形県米沢市出身。父、黒金泰義も元代議士。
東京帝国大学卒業。大蔵省入省。
戦後、津島寿一、池田勇人(元首相)両蔵相の秘書官を務める。
その後仙台国税局長。

1952年衆議院議員総選挙にて旧山形1区から吉田茂率いる自由党公認で出馬
当選(当選同期に福田赳夫元首相・町村金五…)以後当選9回。

以来当選同期の大平正芳(元首相)宮澤喜一(元首相)と共に
池田勇人側近の秘書官グループとして活躍。
自治政務次官を経て、
1962年第2次池田内閣で内閣官房長官として初入閣。

■「吹原産業事件」~映画『金環蝕』仲代達也~

黒金泰美元内閣官房長官は、大成が期待された
(官房長官前任大平正芳、後任鈴木善幸はいずれも後に首相)が、
1964年、親交のあった大阪の貸しビル業・吹原産業社長が、
黒金氏から預かった実印を用い保証書を偽造。
その偽、保証書を悪用し銀行から資金を不正に引き出そうとした
「吹原産業事件発覚」
信用を落とし、1976年落選、引退。
1981年勲一等瑞宝章受章。

後に、この事件をモデルにした『金環蝕』(きんかんしょく石川達三の長編小説)
は、1975年(昭和50年)に山本薩夫監督により映画化。
黒金泰美役は、仲代達也。

■祖父と黒金泰美元内閣官房長官

…祖父は黒金泰美元内閣官房長官の後援会会長。
仙台国税局長から政治家への転進に協力し、
それから協力関係のもと歩んだのが祖父でした。
(ひいじいさん祖父と2代続けて自由党米沢代表)

思えば、あの事件が1964年。
それから数年経ち、うちの会社も思うように業績が上がらず、
4代目であった僕らの時代に辿り着く寸前、倒産(1991年)

政治と商人とは、また同じ川なのかな?