小学校/将来の夢(5)

■「密かに芽生えた夢」

「クロスカントリーで優勝する!」
実現する為、中学の部活に参加し、
先輩方の中、もまれた。
中学生にも負けなくなり、
負荷にも耐えられる身体になった。
特にスケェーティング走法が得意で、
確実に、米沢史上小学生で
一番速いタイムを、出していた。
たとえスケェーティング走法を
禁じられても、クラシカル走法
(従来の手法)で前年優勝記録
6分30秒より、45秒速かった。
断トツでの優勝は間違いなし!
私の中で現実的な思いが(夢/目標)
芽生える。
このままクロスカントリースキーを
続け、全国大会を目指すと!
実は、ロールモデルもいた。
同郷の川野部選手だ。
彼は中学まで米沢でクロスカントリー
に励み、高校から、全国一レベルの
高い、金山高校(山形県北部/最上)
へ入学。寮生活を送りながら
頭角を表し、インターハイでは
大転倒しながらも2位だった。
以降、日本大学スキー部でも
インカレで上位。日本を代表する
選手になった。
更に、現実化しやすかったのは、
母が、この金山地域で元々中学教師
をしており、町長から役場から
教え子、町の人まで、その当時でも
仲良く繋がりがあったのだ。
小学校で、ただ優勝したいのではなく、
その先を見据えていた。

■「魔の日曜日」

しかし、思いや技術とは裏腹に、
肉体はまだ12歳。
身長は160cmに迫っていたが、
さすがに疲れがたまっていた。
これを見抜いていた母の提案で、
試合1週間前という事もあり、
日曜恒例の中学生との練習は
休む事にした。

朝6時「何、寝てるんだ。起きろ。
もう朝だぞ!」父がせっかちに起こす。
「今日は、練習休みだから…」
と力なく応える私。
「何、言ってるんだ!。
試合まで1週間前だぞ。今日は折角、
武志(兄)達と小野川(市内大会会場)
で練習するんだから、早く着替えろ」
…話が違う…。
窓の外は吹雪である。
行きたくねぇ~な。
兄は、準備を終えている。
私だけパジャマ姿だ。
仕方なく、着替え、パンをかじり、
玄関へ向かう…と、物音に気付き、
母が起きて来る。
練習着の三人を見た母は
「何、やってるの!哲朗(私)は
練習休みでしょ。試合の1週間前よ!
しかも、こんな吹雪に!」
二人の言い合いが、朝から始まる。
私が練習に行けば、済む話だ。
「大丈夫だから…」と応え、
嫌な空気を遮断し父の車に乗る。

車が走れば走るほど、吹雪は強まり、
ワイパーですら、追いつかない。
練習会場はスキー場の前。早い話、山の中。
視界5mの猛吹雪。呼吸するのも拒絶したい
くらい。
さすがにこんな日、中学部員ですら、
殆ど休む。うちの家族以外来たのは3人ほど。
この日は、先生まで休んで来ない
(1中部活顧問)
父が仕切り、普段通り40分走でアップ。
しかし、寒すぎて、全く身体が温まらない。
とにかく足が冷たい。それだけは、
時代を越えても、よく覚えている。
練習では、兄は黙々淡々冷静に。
それとは対象的に、父は異常に
燃えて滑っている。
この人(父)は、北海道(稚内市)で、
氷割りのアルバイトをしていた事も
ある自然児で、雪かきも異常に好き。
何より、父自身の試合も2週間後
この会場(小野川)であり、何が何でも
練習したかったのだろう。
簡潔に言えば「この部活は父の為の
練習だった!」
練習メニューは普段通り。
(40分走×3、部分練習など)
昼飯、スキー場のかけそばを食べ、
まずい醤油味の汁まで飲んだが、
それでも寒い…。

■「38度5」

次の日の朝、起きた瞬間解った。
身体が異常にダルく、熱がある事が!
台所に恐る恐る降り、これを母に
伝えた瞬間、母はショックで固まり、
その牙は父へ向かう。
事実を知った父はウサギの様に強張り、
気まずさに耐えられないのか
逃げる様に会社へ向かう。
「熱は38度5」 即、病院だ。
薬をのみ静養する。
…この時、今の知識があれば、
病院で点滴を打ってもらい、葛根湯を
飲んだのだが…。
元々虚弱体質である私の高熱は長引く。
食欲もなく、体力は削られていく。
試合2日前(金曜日)、試合に出る
意思表示もあり、登校。
皆んな、明後日に迫った試合について
話しかけてくる。
周囲の期待も大きく、引くに引けない
状況だ。
一応、学校の練習にも参加するも、
足がフラつき、走るれ状態ではない。

自分の状態は自分が一番解る。
本当にマズイ状況だ。
でも、小学生の市内大会で
こけるワケにはいかない。
何の為に、練習して来たんだ。
負けたら、中学の先輩にも
あの程度かと思われる。
とにかく、恥ずかしい結果だけは
残せない。残せない。
負けたとたん、皆んなに笑われ
陰で馬鹿にされる。
もうあの普通の立ち位置には
戻りたくない。
兄の様に、英雄になりたい。
兄の様に、なりたい!
…精神的にも追い込まれていた。

■「試合当日/朝」

今もはっきりと覚えている。
試合当日の「熱は37度5」
母は私の惨敗を見抜いたのか、
「出なくていい!」と言う。
しかし、逃げたくない。
小学校6年間で、初めて周囲に
期待される存在になれたのだ。
あと、もう一つ、私の背中を押す
出来事があった。
3年前、兄が小5で優勝した市内大会。
小6の先輩は風邪で高熱を出しながら、
欠場を勧める先生に直談判。
必死に滑ってみせたのだ!
私の中に、欠場の選択なし。
食欲がないので、餅を食べ、
試合会場へ向かう。
~つづく~