■「小学生/理想の職業」
幼少期と同じく「夢=理想の職業」でした。
一般的な職業に就きたいとは考えられず、
醤油やを継ぐ事も頭にありませんでした。
しかし、建前(表向き)で語っていた
プロ野球選手は小4くらいから萎みだし、
本音で思っていたプロレスラーも、
小6には消えていきました。
野球は、私より上手な先輩方との差、
私自身の試合での結果でしょうか。
プロレスは実際にレスラーを見た時の、
尋常ではない身体のでかさ。
特に、小学校裏手のホテルで
遭遇したジャンボ鶴田のでかさには、
度肝をぬかれました。
大人になれば、こうなれるのか?
それは無理だろう…と。
現実思考に切り替わり出したのは、
小5スキー~入退院の流れ
(「小学校/将来の夢」掲載)
この時、初めて、私自身と向き合い、
受け入れたと思います。
私は、特別な存在ではない。
練習をしっかり積まなければ勝てない。
とはいえ、根底には目立ちたがり屋精神があり
「誰から見ても、どこから見ても、
解りやすく目立つ位置へ行きたい」
という理想空間は在りました。
■「稼業/職種」
創業明治38年の稼業「岸本店」。
父は3代目世代であり、会社重役。
しかし、背広姿ではなく、いつも作業着。
車もクラウンから、ライトバーンに代わりました。
昔は、南樺太、北海道(小樽→函館)、
東京(神田松下)、仙台、いわきと支店もあり、
凄まじい業績でしたが、子供の目から見ても、
私の知る稼業に勢いはなく、
従業員にもやる気が見えませんでした。
社長(祖父)や祖母叔父叔母はプライドや
家柄を主張しますが、現実の前では
常にイラついていました。
私なりに、小学校低学年の頃、会社に
提案した事があります。
内容→
「仕出し弁当についてくる醤油ミニ袋を袋売り」
即座に、祖母に「子供は口出ししない!」
と怒られ、母にまでチクられました。
私はしつこい性格で、怒られても
へこまない神経なので、
何度も意見しましたが、
「お金ばかりかかるでしょ!」と、
完全にソッポを向かれました。
当時の醤油は一升瓶に入り。
これでは重いと感じていた
のが始まりです。
母方の祖母とよく買い物に
行きましたが、うちの醤油と味噌が
売れているか、いつも気になり、
よく観察してました。
その時、どこかの叔母さんが、
重そうにレジカゴに醤油を入れ、
大変そうに持ち運んでいたのです。
レジカゴの規格には、
一升瓶は合わないのです。
もう一つは、家でのお手伝いの一つに、
食卓の醤油瓶が少なくなった場合、
醤油を注ぎ足す係がありました。
この時、台所の収納スペースから
一升瓶の醤油を持ち、
食卓の醤油瓶に注ぎ移すのですが、
これが子供の私の腕力では大変。
これを繰り返した醤油瓶の蓋には、
乾燥した醤油の塩分が塊り、
指先が汚れ、これも嫌でした。
食事で必要な分だけ、
醤油があればいいのです。
そう、仕出し弁当を食べる時のように。
そこで、ミニ醤油袋の袋売りを
思いついたのです。
とはいえ、会社の事務所の重い雰囲気、
えばった口調、工場の不衛生さも
好きになれず、小学校高学年には、
稼業から、目を背ける様になりました。
■「消費者」
消費者の気持ちを知る事が大切です。
人間の半分は女性。
購入者となれば、男性以上に女性が多く、
子供達は、母親の意見意思の元、
生活しています。
女性はコミュニケーション力が男性より
あり、日常的な横の繋がりを重視。
そこで大切なのは、味や品質異常に、
便利さだと思います。
便利とは、持ち運びが便利だったり、
手軽だったり、
手間(時短)を省く物。
製造元や販売元のやりくりなど、
消費者には無関係なのです。
何より、家柄など、どうでもいいのです。