岸哲蔵ルーツ5 岸孫蔵(米沢市市会議長。山形県醤油味噌工業組合初代理事長)

■岸孫蔵 「米沢市市会議長」「山形県醤油味噌工業組合初代理事長」へ

昭和15 5度目の結婚
米沢市市議会議長

自由党米沢支部長
家屋賃貸価格 米沢支部長
近衛総理大臣の招待をうけ、天皇陛下皇后陛下の奉祝会出席

昭16 妻病死
三男病死
「6度目の結婚」
山形県醤油味噌工業組合 初代理事長
(2代 次男要蔵理事長)

昭19 山形県味噌醤油統制株式会社 顧問
(理事長 要蔵)
昭21 全国醤油統制株式会社  評議委員
昭22 全国味噌協会議員

昭24 大工場を建設
農林水産省指定 アミノ酸工場建設
東京大にて、ガンの手術

昭25 東北味噌協会 顧問(要蔵 副理事)
8月27日 亡くなる

書鳩山一郎

…この書は、同郷の民放学者 我妻栄
この本を出版するにあたり鳩山一郎氏に御願いし、
書いて頂いたものです。

GHQ配下の時代も終わり、統制会社の時代も終わり、
二代目要蔵氏のもと、岸本店は再スタートを計る。

■岸本店 ~支社と販路 …そして廃業へ~

東京支社は、戦前に閉鎖。
小樽支社は、樺太撤退により、閉鎖。

函館支社(昭30~40)
仙台支社(昭40~60)
いわき支社(昭35~40)

☆2代目の主な販路
山形県最上地区、庄内地区、秋田県全域、北海道函館市、
宮城県仙台市、新潟県北部、福島県いわき市、
自衛隊基地(多賀城、神町)、米沢市内、亀田製菓….

….昭45~大手メーカーは、海外から大量に大豆を輸入。
国内のみの大豆を使用していた地方メーカーとの価格に
差が。
北海道、いわき、そして仙台と撤退。
繁栄期には、季節労働者含め200人にも及んだ社員も、
時代と共に縮小し、平成3年10月、廃業。

赤茶色のレンガ造りの工場(函館の赤レンガ倉庫をモデル)
木造のタル工場、味噌蔵、分析室、オートメーション化された新工場、
巨大タンク(重油)…あっという間に取り壊され、あぜ道となり、
今では、家が建っている。

■「ルーツ」

時代は生き物のように姿を変え、過去はただ忘れ去られ、
ただ齷齪働く….
そんなある日、苛立ちが収まらず、部屋にはいられず
夜中、多摩川へ向う。

寂しそうにポツンと置かれたベンチ….
闇に身を置き、深海の溝のように見えなくなってきた目的と日々と
向かい合いたかった。

心の音を消し、流れる川の音に身をよせ、瞳を閉じようとした時….
闇ではない事に気がつく。
「星」が光っているじゃないか….

そう、星は何万年前に燃え尽きたはずなのに、今、こうして僕を
照らし、心を温めて….くれた。
その時、ぼんやりと岸孫蔵氏のことを思った。
一人で、ただ、生きてきたのではないと….

そして、後に馬込正幸氏のセミナーで家系図を知る大切さを問われた時、
「ルーツ」
これを、ブログで書く事を決めました。

商人、政治家、実業家としてある時代を怒涛の如く歩んだ氏には、
昭和31年、死後6年目に本が出されており、この本と、親戚の方の
お話から、まとめました。

ルーツ….この血を地を知を、心の片隅に置き、
これからの道のりを、生きて活かして行きます。
ひとまず…ルーツ終了!!