衆議院議員選挙の焦点は、
「消費税」「憲法9条」そして「原発再稼動」
特に「憲法9条」と「原発再稼動」に関して共通している事は
「命」がかかっている問題であり、現実に起きた事。
9条は、第二次世界大戦への反省であり、
原発は福島での震災による事故。
その中でも、福島の原発だけではなく、「東日本大震災」からは、
まだまだ「復興」していない現実があると聞きます。
オリンピックも大切ですが、本来ならば、これらの問題収束へ全力で
取り組まなければいけないと、僕は思います。
■あの日….
2011年3月11日…僕は、三鷹市(東京都多摩地区)の、現場にいました。
でかい荷物をトラックから二人で降ろしていたら、グラつくので、
もう一人に「大丈夫?」と、声をかけようと思った時、その揺れの原因は
「地震」だと、気がつきました。
電線は、見た事がないほど揺れ、カラスは集団で鳴き、
トラックはバンプし、軽量の荷物は勢いよく倒れる。
しかも、それは短時間ではなく、不安を絶望へと尺度を変えるのに
十分なほど長い….まさに異常事態でありました。
何分揺れたのか?辺りを見渡し、まず、思ったのは、
「都心の高層ビルは、大丈夫か?」
それから、少し経つと、サイレンの音があちこちから聞こえてきました。
そして、現場の近所のおばちゃんが外に出てきて、大きい声で話してます。
「震源、東北だって!!」
「えっ!!」
俺は、耳を疑いました。
だって、東北から離れた東京で、この揺れなのに!!
東北にある実家は大丈夫か。
俺は携帯電話を握り、東北地方(米沢市)にある実家に電話を入れました….
が….繋がらない….何度かけても。
不安を打ち消したく、とにかく、早く現場を終わらせ、
コンビニの公衆電話へ向かう。
実は、コードのついている「有線電話」である公衆電話は、
こういう事態に強く、しかも、携帯時代の現代、繋がりやすいのだ。
(行政機関の電話は、より早く繋がります。)
勿論テレホンカードは持ってないので、コンビニで購入しプッシュする。
と、一発で繋がった!!
何コールだろう「…はい、岸です。」
ほっとしたよ….。
短時間だけ話、無事を確認し、内容を確認する。
が、駅に着くと、今度は、電車が動いていない。
なんとなく、これは無理だなと判断し、歩く事に。
途中、早々と閉めたスーパー入口には、お詫び文が貼ってある。
「….なるほどなぁ~」と、なんとなく勘ぐり、事実の大きさを
知らないまま、仙川から約1時間かけて、歩き帰宅する。
家を開けると、これといって問題はなく、
なんとなくTVを点けると….
そこには、想像を絶する被害状況が映し出されていた。
10代の終わり、一人暮らしを始めた大好きな仙台の街が炎があがり、
沿岸部では、とてつもない津波の被害がおき、
行方不明者の人数を、アナウンサーは、祈るように伝えていた。
とにかく、胸が詰まる苦しい内容ばかりで、
時間の経過と共に、痛烈なる映像と文字が、
哀しみと不安を倍化させた。
….震災から1ヶ月の殆どの現場は、地震による破損の手直しで、
音楽でも、チャリティーLIVEからの誘いは、数多く頂きました。
が、前もって決まっていた、TVとラジオ収録のコンサート以外は、
申し訳ございませんが、お断りしました。
正直、
自分がこの時思ったのは「歌っている場合ではない!!」
よく、現地にこういう時に出向く歌手やお笑いタレントがいますが、
はっきり言って、売名行為にしか見えません。
現地に行くというなら、A猪木さんや石原軍団、小林幸子さんのように、
炊き出ししたり、物資を提供すべきだ。
本当に哀しみの絶望の淵にいる方に、歌声やお笑いは聞こえません。
心に余裕が出来て、始めて、受け入れる体制が出来るのがアートであり、
衣食住という、土台あって成立するものだと考えてます。
….が、自分も思うばかりでいいのか?
都内での現場も落ち着き、仙台市役所へ電話をいれましたが、
個人で、ボランティア参加希望の方は、特殊技能お持ちの方で、
テントセットをもった方だと助かるという、内容でした。
それからは、イライラと申し訳なさでいっぱいで、
何も手につきませんでした。
….そんなある日。
「ボランティアチームをつくったから…」と兄貴。
日本人として、東北出身者として、やっと参加できる事になり、
ほっとしたと同時に、一気に、たぎる思いが燃えてきました。
■被災地へ…
2011年6月3日 世田谷区、松蔭神社集合
作業着、タオル、安全靴、ゴム軍手….持参。
目的地 宮城県石巻市
任務 ヘドロかき、炊き出し、物資配送。
炊き出し用の寸胴5台(豚汁)
ガスボンベ3本。
水100リットルと、
野菜等は、前もって、下準備を終わらせ、冷凍ボックスへ。
炊き出しセットや、衣類、下着、生活必需品等は3tトラックへ、
チーム25人、ワゴン車に分譲し、石巻へ!!