本日から、自己分析を綴ります。
幼少期の夢(~幼稚園卒園まで)
■「幼少期」
1973年秋、米沢市生まれ。
父母、二つ上の兄と、ポリー(柴犬77~90)
家族。稼業は、醤油と味噌の蔵元「岸本店」
で、創業者/岸孫蔵から数え4代目世代。
(1991年10月/倒産)
4歳~6歳/富士幼稚園(当時/米沢市中央)
■「幼少期/夢」
幼少期、初めて夢(憧れ)を持ったのは5歳頃。
当時の僕は、二面性が強く、その姿勢は
「夢」でも同じ。親に対する答えと、
心の中の本音は別でした。
周囲の友達みたいに、本音をはっきり話せない
性格で、自己主張は、気恥しく、夢や好きな
事など、密かに籠りながら感じたいタイプ
でした。
また、夢や好きな物に対しての意思表示も
薄く、それ以上に、親を喜ばせたいとか、
周りに合わせたいタイプ。
この軸は、イイ子ちゃん的軸が半分と、
相手の気持ちに沿ってあげたいという
サービス精神(協調性?)が半分かと
分析。
[親に対して/夢]
→レスキュー隊。
レスキュー隊に憧れたのは、9/1NHKで見た
防災訓練。TVを見た場所は母の実家。
時期は母が椎間板ヘルニアで長期入院し、
母の実家に預けられていた1978年。
TVではレスキュー隊の隊員が、高いビルの
側面部分にローブを垂らし、高い位置から
壁を飛び跳ねる様に降下したり、
ビルとビルの屋上をロープで結び、
そのロープを両手で持ち、両足で挟み、
背中を下向きにし渡っていく技。
この、人間離れした忍者の様な技と、
度胸に驚き、同時に憧れを持ちました。
[心の中の本音/刑事]
→理由①
当時の山形で夕方放送されていたのは
刑事ドラマ「太陽にほえろ」の再放送。
岸本店もこの番組のスポンサーの1社だった
という事もあり、毎日ばば(母方の祖母)
と見てました。
このドラマで、画面からはみ出して
しまいそうなほど、勢いを感じる刑事が。
その名は、ジーパン刑事。
ジーパンはピストルは持たず、
野太い声で犯人と対峙し、
飛び蹴りで犯人を捕まえます。
長身長髪、物凄く長い脚をベルボトムジーンズで
包み、独特の腕の振りで駆けて行く。
歩道橋を渡れないおばあちゃんがいれば
通りの向こうまで、おんぶしてあげる。
正義感剥きだしで、時には先輩刑事と
ぶつかる。不器用なまでに熱く、砂の様に繊細。
その、草の根かき分ける様な姿勢に、憧れました。
因みに、当時、松田優作という名は
知らず、他のTVで見かけても、
「あっ、ジャーパン!」という具合でした。
→理由➁
1979年大阪でおきた三菱銀行立てこもり事件。
残虐かつ狂暴な犯人。ジーパン刑事の様に
捕まえ、皆んなを助けたい。
→理由➂
1979年、次の年入学する「興譲小学校」
その裏手にある銃砲店に、朝10時頃
犯人が押し入り、銃を強奪、立てこもり事件発生。
TVでは東海林レポーターまで駆けつけ(恐らくヘリ)
ワイドショーがこの事件を生放送。
家の近くをパトカーがサイレン鳴らし走り、
母は即、兄の通う小学校に電話。
全校生徒無事と知り、肩を撫でおろす。
その日は、風邪で幼稚園を休み、
銃砲店近くにある、高野医院(現在/島貫産婦人科)
に行く予定。風邪をひいてるはずが、
同じ地域で、しかも知った場所でおきた事件。
俺は、TVにかぶりつく様に見ていた。
「…どうにかして、捕まえなきゃ…」
自分なりの作戦を、母に話していたと思う。
それから、数時間後、
「3時のあなた」放送中、犯人逮捕。
事件も無事解決したという事で、
母のチャリの後ろに乗せられ、銃砲店近くの
病院へ向かう。
当時の米沢市のメイン通りと県道2号が交わる
十字路を左折すれば、銃砲店。
だが、野次馬が凄く、恐らく母も見たかった
のだろうが、そのまま直進。
直進して直ぐ、左手に、興譲小学校、
右手に目指す病院がある。
興譲小学校正門から50mほど下り、
グランド奥にある興譲山(人工山)を左手に、
覆面パトカーが3台、西部警察の様に
並んでいた。
警察の制服を着ていない、スーツ姿の男性が
数人立ち、何かの確認をしているようだ。
その時、一人の刑事が、上着を脱ぐ。
すると、黒のベストの左肩に拳銃を納める
茶色の皮のショルダーホルスターが
剥きだしに。
「カッコいいー!!」
母子、この衝撃をガン見しながら、自転車は
覆面パトカーを遠巻きにかわし、
右手の病院の駐輪所へ入って行く。
この時だ。車のドアが閉まる音の後、
間髪入れず、覆面パトカーがサイレンを鳴らす。
自転車が止まる。
自転車の後方から身を乗り出し、
身体ごと思いっきり後ろへ向けると、
覆面パトカーは列をなし、過ぎ去って行く。
僕は、自転車から飛び降り、覆面パトカーが
過ぎ去った道路へと駆けていく。
覆面パトカーは町の人に事件の終わりを
知らせるかのように、サイレンを響かせ、
行き止まりにある玉光堂を左折していった。
…何だろう。この熱い思い…。
説明不能な怒涛が、直列電流の如く、
突っ走った。
それから数日は、階段を歩く時は
音を出さない様に、柱があれば、
一度身を隠し、覗き込む…そんな事を
1人繰り返し、太陽にほえろに対しても、
駄目出しを、心の中、出していた。
(階段での足の音と、話し声が大きすぎる)
しかし、この「本音の夢」は、幼稚園
卒園前に、あっけなく変わる。
そう、あれは忘れもしない1980年2月27日
~つづく