■尾崎豊 忘れな草
1992年….大晦日….
テレビでは、この年を飾ったニュースの何%かを、
尾崎豊関連のものでしめた。
特に、お葬式の一般弔問では、37000人のファンが全国から集まり、
地下鉄が溢れかえったと、尾崎の歌と共に、流れていた。
この頃の俺は、遠距離恋愛に終止符をうち、新たな出会いも
相当早い時期に終わりを遂げ、
実は、もう仙台との別れを告げる日取りも
決めていた。
駄目もとで受けた芸能事務所のオーディションに合格し、
9月から、毎週土日、東京(飯田橋)と仙台の往復し、
レッスンとオーディション。
月~金はまだ、学校~板場の生活だったが、
心はもう東京へ夢を走らせていた。
もう、この頃、自宅でも、心の中でも流れていたのは尾崎。
曲の作り方も、恋愛より攻撃的になってきた。
1993年3月14日….
仙台の町を出る。
初めての一人暮らしを思い返す度、心に蘇えるのはあの日で、
そこには、板場と彼女と….尾崎豊のメロディが….
滞在している。
~つづく~