■新大久保クラブヴォイス(新大久保CLUB Voice) 岸哲蔵
岸哲蔵の「出身地」は、山形県米沢市ですが….
岸哲蔵の「音楽出身地」は….「新大久保」だ!!
そして、その熱は「新大久保クラブヴォイス」(新大久保CLUB Voice)
から放たれてきた!!
■岸哲蔵 音楽ヒストリー
~12歳
音楽とは無縁の少年時代を過ごす。
音楽のTV番組で唯一見ていたのは大晦日の「紅白歌合戦」
大好きなドリフでも、歌コーナーになると
TVのチャンネルを回していたほど(笑)
12歳、学校での話題についていけず、重い腰をあげ
「ザ・トップテン」(日本テレビ 月曜20時)を見る。
そこで第1位の安全地帯「碧い瞳のエリス」を聴き感動!
以後、音楽に目覚める!
12歳~18歳まで、毎週自分なりに「ランキング」をつける。
その名も「トップ・ザ・ベストテン」
13~15歳
朝から晩までレコードをかけ、ラジオで新情報を常におう。
レンタル・レコード「YOU&I」の常連になり、
気が付けば「カセットテープ段ボール3箱!」
歌番組は、ほぼ「録画」
14歳
初めてコンサートに行く(荻野目洋子スプリングコンサート)
初めて「歌詞」を書く。
15歳で
好きな娘へ、卒業式後プレゼントする為、
笛で好きな曲を吹き録音するも…渡せず…。
16歳
矢沢永吉にはまる!!
頭はリーゼント、タバコはマイルドセブン。
バイトにケンカに忙しかった(反省)
初めて買った楽器「マイクスタンド」(俺的にはスタンドマイク)
クリスマス、好きな娘にふられ、その勢いで友達の家で曲を作る。
「XmasNight‘89」(作詞/作曲)
…この曲は、当時、自分の周りの友達はみんな歌えた。
17歳
友達とcomplexの「コピーバンド」を組む。
ヴォーカル担当!
この夏、好きになった娘へ、毎日、曲を書き、電話で歌う(笑)
18歳
コピーバンドとは別に、仲間うちで「てつろー&ヘアー解禁」
というバンドを遊びで組む。
「XmasNight‘89」「見守るよ」「目のかすみ」
「ゴキブリに愛を」「レロレロ・ロックンロール」…
硬派なバラードから、下ネタソングまで(反省)
学際で燃え上がる!
観客300人、超満員。ほぼ、自分らの「B・F・P」の
お客。
因みに、「B・F・P」は、ブラック・フラワー・パーク
(ギターの青木が命名)
Vo 岸哲朗 Gt 青木雅広 Gt 具志貴之(サポート)
Ba 小野一登 Dr 斉藤富義
(COMPLEXのコピーバンド)
19歳
仙台で板前修業中、結婚を考えていた彼女に振られる。
その勢いで受けた「オーディション」に合格。
「東京宝映」に入る。
毎週、レッスンやオーディション(全て不合格)の為、東京(飯田橋)に通う。
おっかけの女の子が2人…いた…マジ…名古屋の子…
20歳
上京するも音楽の仕事はなく、同期の信ちゃんと「デュオ」を組む…
が、路上ライブのみで自然休止。
21歳
俳優を薦められるも、歌がやりたく…事務所をやめる。
三鷹際にて「初弾き語り」(全オリジナル ギャラ¥5000)
年越しの路上ライブ(吉祥寺駅前)にて、たまたま
目覚ましテレビ(フジテレビ)に登場!
22歳
立川のスタジオで見かけたメンバー募集にてSと出会う。
Sはたまたま同じ山形出身で安全地帯フリーク。
デュオ「ベージェル」を組み、相模原のフィリピンパブで毎週
ステージ立つ…も、3ヶ月でケンカ別れ。
21~28歳
弾き語りにてライブ、イベント多数出るも、己を知り、生活に追われ
25歳…音楽から遠ざかる。
港湾労働者の日々(台場、晴海、日の出、芝浦、大井、大黒、本牧等)
….来る日も、来る日も、汗水かいて…Tシャツを絞り、
倉庫の上から、海を見つめていたよ。
「波って、何処からきて、何処に帰っていくのかな…」
「俺は、夢を求めてきたけど….何処に行くんだろう…」って。
でも、身体だけは、頭がおかしいんじゃない?ってくらい、
日々、鍛えていた。
ある意味、トレーニングに逃げていたのかな?
27歳
音楽から離れた日々の中、先輩の紹介で「ビクターレコードA&R」に
入り(契約ではなく、新人育成部門)デェレクターに月1曲を聴いて
もらう。
路上ライブ(新宿しょんべん横丁近くのガード)を頻繁に行う。
「音楽の寅さん」(フジテレビ)にて、桑田佳祐さんと路上ライブで闘う
先輩に河島英五さんを紹介して頂き、ライブ(江戸川区民センター)当日
楽屋にて、発声・ギター・魂を叩きこまれる。
28歳
河島英五さん死去。
完全に音楽から遠ざかる。
年の暮れ….久しぶりに実家へ帰ると、突然40度を超す高熱を出す。
重労働で、腰も痛みだし、インフルエンザと重度の蓄膿症….
3ヶ月実家で過ごす。
29歳
再度、上京するも、燃えるものもなく、思えば共に汗水かいた
港の仲間に挨拶も出来ず、俺は、建築現場の道へと進む。
32歳
たまたま、港の友達と再会する。
「今度、ライブ来てね!!」と…清々しい顔で、笑顔で手を振ってくれた。
迷い迷ったが、2006年3月、ライブを観にいく。
友は「一人でパンクを弾き語りをしながら、マイクに噛み付く勢いで叫ぶ」
…ライブが終わり、俺は自問自答の中、
ライブハウスを後にした。
東小金井のボロアパート、押入れの奥にしまっていたギターを引っ張り出す。
弦はサビ、埃をかぶるギター。
俺は手に取り、指でならし….我慢出来ず、ライブハウスの扉を開けた。
そう、それは、ここ「新大久保クラブボイス」(新大久保クラブヴォイス)
■新大久保クラブヴォイス(新大久保CLUB Voice)岸哲蔵ライブ履歴
2006年4月12日
新大久保クラブボイス ライブ再開!!
名前は…岸(弾き語り)…18時30分からのライブにも関わらず、
会場は満員(50人)感謝が尽きない。
☆岸
■2006年
新大久保クラブヴォイスLIVE→4/12、6/5、6/15、6/16(トラ)、
8/21、9/20、11/16、12/7、12/31
(全て、弾き語り。新大久保CLUB Voiceのレギュラー掴む!)
☆岸Live
■2007年
新大久保クラブヴォイスLIVE→2/1、2/11(ゲスト)、3/26(ここまで、弾き語り)
5/16(&池田健司)、12/14(&池田健司&保田篤孝)
■2008年
新大久保クラブヴォイスLIVE→7/17(バンド)9/3(バンド。ゲスト)
獲得レギュラー→「四谷天窓」(高田馬場)
☆岸哲蔵(7月、曼荼羅デュオLIVEより、岸哲蔵の名前に!)
■2009年
獲得レギュラー→曼荼羅(吉祥寺)、テレビ朝日umu(六本木)
■2010年
獲得レギュラー→BLACK AND BLUE(吉祥寺)
レコード会社契約→みちのくレコード
初ワンマンホールライブ(370人)
(「米沢牛」にて、シングル・デビュー。 アルバム「BROTHER」発売)
…FM山形「喫茶DEナイト」にて毎日、岸哲蔵の曲が流れる(2010年9月~2011年3月)
他、ローカルTV、FM、ラジオ多数出演。新聞や雑誌に取り上げられる。
■2011年
新大久保クラブヴォイスLIVE→2/28(バンド)、6/25(バンド)、9/25(バンド)
(新大久保クラブヴォイスに2年5ヶ月ぶりに、帰ってきた!)
…正月元旦豪の新聞にて、岸哲蔵特集組まれる。東京と山形でのライブ往復。
■2012年
新大久保クラブヴォイスLIVE→11/18(岸哲蔵&サトウユタカLIVE1「放熱の扉」67人満員)
…みちのくレコードとの契約終了。
都内で自主興行を打ってく。
■2013年
新大久保クラブヴォイスLIVE→11/17(岸哲蔵&サトウユタカLIVE3「原点」 70人満員)
■2014年
新大久保クラブヴォイスLIVE→11/9 岸哲蔵&サトウユタカLIVE5「夜明け」(75人満員)
新大久保クラブヴォイス計23回出演。
■新大久保クラブヴォイスへの思い
….俺達は、このビルの地下にあるこのハコで、穴を掘り続けてきた。
そこで、かいた汗を、みんなに後押しされた温かさを、本能の雄叫びと共に、
放ってきた。
まだ、まだ光は遠いかな?
でも、必ず掴むんだ「光」を!
「夜明け」と共に….「夜明け」と共に!!
有難う、お客様。
有難う、仲間。
そして、有難う、新大久保クラブヴォイス(新大久保CLUB Voice)