■岸哲蔵「高校リアル・ストーリー」~バンド結成~
初めてバンドを組んだのは、17歳(高2)
高校入学し、一番始めに仲良くなったKという、
茶髪の氷室好きに誘われたのが、きっかけだった。
当時の自分は、音楽は一人で聴くものであり、
人前でなど、空想の世界。
Kと共に、高校時代を良くも悪くも歩んだA(ギター)という悪友と、
色々なバンドを聴き、
高2秋、吉川晃司と布袋寅泰の組んだ「COMPLEX」のコピーを決定!!
僕が吉川役で、ギター弾きたてのAが布袋役….ん….Kは???
バンド名は、「BFP」
とはいえ、ドラムとベースがいないので、Aの後輩で、
中学時代からバンド活動をしているKaとTが加入。
そして…何故か、言いだしっぺのKは、口出し以外…不参加….(残念)
■バンド練習は醤油工場
とりあえず、実家の岸本店(カクイチ醤油)で使わなくなった、
オンボロの木造のタル工場を利用する事に。
近所に住んでいた、大工好きな元都会っこのHに手伝ってもらい、
板の隙間に板を貼り、補修完了。
楽器をやらない僕は、憧れの「マイクスタンドを購入!!」
永ちゃんのパフォーマンスを想像しながら、
ドラム、スピーカー、アンプを先輩の車で運び、
「手作りスタジオ」完成。。。
天井も高く、学校の教室3個分ほどのスペース!
後輩の二人は部活に入っていたので、週1集まりスタート。
初練習。
中学時代からバンドを組んでいるベースとドラムの呼吸はばっちり。
が、先輩である僕ら二人が足を引っ張ることに。
カラオケや想像と違い、生音は難しいのだ。
それから毎日、Aの家に行き、スピーカーから「COMPLEX」のCDを
大音量で流し、僕は歌い踊り、Aは布袋になりきった。
練習を積むごと理解し、僕らの反応もよく、
誰も譜面が読めないのに、カタコトの英語くらいに、はかどるように。
と、
この週1のバンド練習に疑問をもったのが、A。
「もっと、練習しよう!!」と言うのかと思いきや、
「なぁ~、金儲けしよう!!」
当時は、日本中うかれた「バブル時代」
高校を出れば、金のネックレスに、シャコタン乗るのが、
うちのヤンキー工業高校出たものの、当たり前!!
当時、うちの高校(工業)は、1000人の生徒が、ほぼ男子。
「バンドブーム」もあり、クラス40人のうち、7~8人は
エレキギターを持参。
同じ、学校だけで、16のバンドが結成されていたのです。
そして、近所には、女子の進学校と、女子のヤンキー高と、
商業高校。
勿論、バンドは腐るほど。。。
ここに目をつけたのがA。
「なぁ~。1時間1000円で貸そうぜぇ。 俺、営業するから。
だいたい、みんな2時間はやるから、俺とお前で1000円ずつ。
で、冬は石油代をプラスで貰おう。
お前の係りは、家から石油もってくる事。
だと、冬は、もう少し稼げるし、日曜なんか、
3つはバンドかせるよ。
場所も、町からチャリで5分以内だし、いける!!」
Aは、次の日、文章を作り、コピーしてきた。
そして、親父に交渉すると….
「お前は、部活も勉強もしないし、正直、バンド自体が反対だ。
しかも、スタジオにして高校生が金を稼ぐなんて、駄目!
第一、石油ストーブから火事おこしたら、どうする。
タバコだって吸うだろ!!ケンカもする。
第一、いつも、親を呼び出しされるお前では、信用が出来ない。」
….この、儲け話は、一瞬のうちに、火を消す。
が、このAの計画制とアイデアに、母親は逆に関心し、
「あの子の、商魂は凄い。」…と。
母の予言から数年。Aは、中古自動車で大儲けし、数々の事業にチャレンジする。
今は、より中古自動車業に精をだし、米沢に残った同学年の中では、
一番の力強さを感じる。
….このレンタルスタジオの話が流れた….ある日。
「ガリガリッ!!」
建てつけの悪い、工場のドアの開く音。
振り返ると、近所のおばさんが怒鳴りこんでくる。
「煩い!!静かにしてぇ!!」
….どうやら、おばあちゃんの介護をしながらの生活で、
30m先から辿り着く、爆音と、ドラムの震動、
ギターの高音に、まいっていたようだ。
カクイチ醤油(岸本店)の社長である祖父からも「止めるように」言われ、
当時の自分とは全て相容れなかった親父の怒りを更に買い、
また、先輩の車で、機材達は、
それぞれの場所へ….帰っていった。
■岸哲蔵ヤンキー(無期停学、停学、謹慎両手以上)
あの日の僕らは、憧れに沿って生きるも、心に反発と怒りが常に
同居していた。
勉強や、このバンドに全てを注ぐ根気もないくせ、
なめられてたまるか的、精神状態。
ちょっと触れたら、傷つくくせ、返り血を浴びせなきゃ、
気が済まない。
早い話「トラブル・メーカー」で、
Aといれば、バンドというより、別枠のオーラを放ち、
一緒に、よく停学処分を受けました。
特に高3入ったら、ケンカでいきなり夏近くまで、無期停学(2ヶ月)。
バンドは、全国へ繋がるコンテスト予選には、
学校から、早々と出場禁止令。
特に、校長と担任は僕らと対立!
担任には「お願いだから、学校やめてくれ」と、よく言われたものだ。
まぁ、普段の悪行がたたり、
地域の大人達のバンドに対する偏見も凄まじく、
高校時代のライブは2本のみ。
(学際の予選、そして、学園祭!!)
■実家「岸本店」(カクイチ醤油ほまれ味噌)の倒産
時が経つのは早いもので、高3の夏もあっというまに終わり、
彼女へ本当の意味でカッコよさを魅せる為にも、
僕らは、近所のレンタルスタジオに入る機会が増えた。
店主から、「タバコだけは駄目!!」
と、ルールを決められ、必死に必死に、練習しました。
だって、野球部はグランドもないのに気合いで「甲子園」に出て、
クラスメイトのHは、プールもないのに
平泳ぎとメドレーで、3年間東北無敗インターハイ、国体で活躍。
俺のリーゼントは、立てた前髪は、ただのカッコつけマークなのか?
とにかく、高校最後の「学園祭」で、
バンドでヒーローにならねば!!
マジ、このままじゃ…終われない。
Aと話し合い、音の厚みがほしいという理由で、
永ちゃん好きのG君(サイドギター)が、サポート加入。
が、
秋の学園祭前…「2つの事件があった」
実家の岸本店(カクイチ醤油ほまれ味噌)の「倒産」だ!!
90年近く醤油やとして味噌やとして、不動産、保険と活躍し、
県内でCMも2本持っていたはずが、、、、
地方紙にもでかでか載った。
触れられたくない傷が一気に増えたようで、イライラが身体中から
はみ出していた。
悪い事は続くもので、不調で病院へ行くと、
「腸」の病で、即刻入院を
迫られる。
が、もうすぐライブなんだ!!
お医者さんと相談し、薬でごまかし、
ライブ3日前の予選へ
(予選16バンド参加。8バンド学園祭出場)
….もう、ステージ立つと、こっちのもん!!
どいつらよりも、熱く、激しく、余裕で予選クリア!
俺を嫌っていた教師も、口半分あけて、びびっていたよ。
学園祭ライブ前日。
俺は病院へ行き、チぇック。うん、まだ、いける!!
で、学校へ着くと、Aがライブ順番決まったから….と、言う。
聞くと、「一番手」という。。。
「あぁ~~~~~!!!!! 一番凄いうちがラストだろ~よ!!」
が、Aは違う。
「8つも出るんだから、一番初めにびっくりさせて、ひれふしてヤローぜぇ!!」
この男の論理は、非常に面白い。
納得すると単純なのが自分だ。
■米沢工業高校学園祭ライブ~300人以上動員!!~
僕は、この日の為に、学校の友達や後輩以外に、彼女の学校、元カノの学校、
近所の女子短大に声をかけ、僕らだけで、150人ほど来場予定!!
当日。
ストレッジと、自分なりの発声と、タバコ。
….ん~、でも、何か落ち着かない。
と、俺をバンドへと向かわせたKが、「ほらぁ」と手渡してくれたのは、
「缶ビール」
俺は、一気に500を呑みほし、
シャドーボクシングで気合いを更に入れた!!
会場は、体育館。
途中から、カーテンが引かれる。
会場が、真っ暗になる。
後輩が呼びにくる。
俺は、鏡の前、自分で頬をはり、メンバーとタッチをかわし、
ステージへ上がる。
薄暗いステージへ歩を進めると、歓声が沸く。
人生で初めてうけた歓声であり、黄色い声援でもあった。
会場….もう、何人いるかなんて解らないが、
体育館の半分が立ったまま、僕らを見ている。
「A。舐められたら、終わりだなぁ」「あ~、ぶっ飛ばすか!!」
俺達はアイコンタクトする。
ドラムが俺を見た。
「行くぜぇ、手前らぁ~!!」俺は叫び、
ドラムカウントで、一気にジェットコースターを走る!!
1曲目
・PRETTY DOLL
前奏でAのカッティングが炸裂する中、
俺はステージから、ステージ下にある踊り場へ「飛び蹴り!!」
更に、着地から、ジャズダンスの3回転ターンを決める。
客席は、一気にボルテージが上がり、
突き上げる拳が、俺の視界を塞ぐ!!
2曲目
・NO MORE LIES
ギター2本が、メロディを絡ませ、燃えあがる波動を静めるように
進行する。
3曲目
・RAMBLING MAN
僕らのバンドの特徴は、「ライブ盤をコピー」しているところだ。
俺のシャウトと、会場のシャウトが交錯し、身体の根から踊り狂い舞うのだ。
4曲目(ラスト)
・学園祭のため、時間が短く、残念だ。
前奏の早弾きを、Aが必死に弾き倒す!
俺が歌い、コーラスでAも歌う。
「Don`t stop my love ~」
途中からは、客席も一緒に歌う
「Don`t stop my love ~」…..「Don`t stop my love ~」
「Don`t stop my love ~」…..「Don`t stop my love ~」
….幕がおりる….
汗が止まらない。
係りに聞くと、会場は300人を超えたそうだ。
僕らのライブが盛り上がりすぎて、ライブの後半からは、
一気に目減りしていた。
「…僕らは、この日を生きる為に学校に入り、出会いがあり、
3年間を過ごしたのかもしれない…」
とにかく、叫び尽くした。蹴り続けた。圧倒し続けた。
…次の週から入院し、最後に学校の歴史に残る「大暴動」をおこし、
人生消えなくなる「傷」も残し…。
親にも友にも彼女にも…大迷惑かけたまま、僕は、米沢から巣立った。
17歳…少年だからって、爽やかな汗だけ流れるものじゃない。
夢?…そんなもん、何もなかった。
目的?…よく、解んねぇなぁ。
でも…僕は、本当の「歓び」を、あの日知った。
そして、「感謝」の意味も…ちょっとだけ…知った。
★BFP(当時のバンド名)
メンバー A(ギター) Ka(ベース) T(ドラム)
サポート G君(ギター)
きっかけ K…
そして、いつも近くで応援くれたAK、O、Ht、C、ありがとう。
そして、あの日、僕らと会場1つになってくれた、みんなへの
感謝は忘れない、絶対。
もう一丁のつもりで、怒涛の如く歌う事を誓う。
…1991年11月、この会場で音響を担当していたMさんとは、2009年再会
米沢ライブでの、岸哲蔵の「音」と「魂」を支えてくれている。
人生には、「出会い」があり「別れ」がある。
そして、「再会」も….あるんだねぇ。
このブログは…岸哲蔵の高校時代の全てかもしれない。
そして、俺の根の、始まりを意味する。
まだまだ、続くぜぇ。