小学校/将来の夢(2)

■「小学校/将来の夢」

小5の兄がクロスカントリー(距離スキー)
市内大会優勝(市18校/90人出場)
このニュースは、衝撃だった。
なぜならば、兄は勉強は出来るが、
鉄棒の逆上がりも出来ない人物。
身長はクラスで1番低く、小太り。
アルペンスキー(ゲレンデ)も下手。
慣例行事の様に、優勝するのは、山の子
(関根、万世、南原、三沢、関)
兄の優勝は、町中にある興譲小初。
だが、思い返せば、兄は小さい頃から、
冬になると帰宅後、吹雪でも距離スキー
の練習をしていた。特に、この冬は、
学校のチームで特訓。両親付きっきりで
励んだ。結果、40過ぎた父まで
クロスカントリーを始めた程。
翌年から兄は冬を睨み、マラソン筋トレ。
小6、冬の市内大会では、僅差の2位。
優勝チームには、国体選手の専属コーチ。
スキー板を走らせる為、高度なワックス
まで施す。一方、兄は独学でワックス
研究。雪の温度や性質に対応。
私は、そんな兄を尊敬し、誇りに思った!

■「クロスカントリーとは」

クロスカントリーは、雪上をスキーで走る
競技。スキーの板は、アルペンスキーの
半分の横幅、長さ約1.7m~2mと長く、
走る為、踵があがる作り。
当時の走る技法は、走る時と同じ動きで
ストックで雪を掻き分け進むパスカング、
片足だけ踵をあげストックを両腕で
雪を差し込み進む一段滑走。
コースには、平地と坂があり、
山登りはハの字、坂は直滑降で下る。
試合形式は、複数一組でスタート、
30秒間で、次の組がスタートする。
前の選手を抜く時は「バンフライ」
と伝え、どいてもらうか、コース右脇
から抜き、ゴールを目指す。
タイムの早い者が勝者。

■「小学校5年」

小5年冬、私も市内大会出場。3位。
私の時は、学校でのチーム練習が
試合2週間前で、軽い練習しか積まず
出場。ただ、兄の試合を見てきたので、
競技というものを理解していたのと、
日課のマラソンが功を奏した。
個人レースの後は、学校対抗リレー。
リレーはスキー競技の華。
優勝チームは大抵、新聞写真入りで
掲載される。目立ちたがり屋な私は
優勝を意識した。結果やタイムを
考慮し、6年生を差し置いて、
先生からアンカーを託される。
兄も5年生からアンカーだったので、
力が漲る。
が、準備をしていると、父が来て
「お前は無理。代えてもらうから!」
と一蹴。私は強く抵抗したが、
父の意見が通り、試合直前、
華のリレーから外される。
結果、代役の6年生が出場、惨敗。
家に帰っても、誉められる事もなく、
兄の様に祝ってもらう事もない。
リレーを外された怒りだけが、
そこにあった。
父からすれば、練習も積まず、
「たまたま3位になった奴」だ。
確かに、兄は黙々勉学運動励み、
結果を出してきた。その信用性は
私と大きく違う。だが、
私にも父に対し思うところがあった。
これまで私に対する冷遇、対処、
兄との格差、野球チームにおいて
父と監督の不仲、私生活での態度
や言動。小さな心の中で抑えてきた
ものが決壊し、溢れ出しそうだ。
もう一つショックだったのは、
登校しても、誰も誉めてくれない事。
昨日まで普通の位置にいた人物が、
いきなり結果を出したので面白く
ないのだと思う。それは担任も
同じで、HRで結果を伝え、終わった。
兄の様に、英雄扱いされない。
「ローマは1日にして成らず」
私は、結局のところ、私であった。
それから、数日後、中1の兄は、
1年生でありながら、地方大会3位
(米沢含めた3市4町)県大会へ。
家の中は、兄一色。偏差値70。
生徒会役員。理科研究特選。
兄へのが尊敬は、嫉妬へ変わった。

そんなイライラに連動するかの様に
盲腸で入院。病室からは小学校の
グランドが見える。
岩の様に聳え立った深雪は
陽の強まりと共に、沈みゆき、
その合間から、土が顔を覗かせる。
私の初めての結果も、雪の様だ。
カッと頭に血が昇る。
「本気で練習し1位になるんだ!」
その決心は、人生で初めて、
向き合う物を見つけた瞬間でも
あった。