自分の中には、カリスマが二人います。
前回記事にした、アントニオ猪木と、矢沢永吉です。
■カリスマ矢沢永吉「ショート・プロフィール」
1949年9月14日 広島市出身。
幼い頃、母が家を出て、父は病気で亡くなり、 お祖母さんと暮らす。
悪がきではあったが、働きながら学校へ通う。
…ある日ラジオから流れてきた、ビートルズに刺激をうけ、
高校卒業と共に、ヨコハマに出てくる。
「ホームにナイトトレイン。財産はトランクとギターだけぇ」
住みこみタコ部屋生活からのスタートも、
アマチュアバンドで ヨコハマで頭角を現す。
あるTV番組に出演したところ、ミッキーカーチスの目に とまり、
1972年キャロルでデビュー!
R&Rで時代を掴み、1975年より、ソロ。
日本人ソロ歌手初の日本武道館公演を成功し、
1978年「時間よとまれ」が大ヒット。
自身を描いた小説「成りあがり」がベストセラー、
芸能人長者番付1位と、 文字通り成り上がる。
1980年より全米進出。
アメリカと日本の往復生活が始まる。
日本のロックを牽引し続け「ビック」と呼ばれる。
1988年より日本に拠点をうつし、
東京ドームや横浜アリーナと いったビックサイズのライブから、
ツアーライブまで、常に満員で、
今現在でも、チケット入手困難な、「ボス」である。
現在65歳ながら、マイクスタンドを蹴り上げ、
熱いロックを放つ。
日本武道館公演は、132回。
勿論、ナンバーワン。日本のカリスマだ!!
■….そんな…カリスマ矢沢永吉のとある話…
名古屋でコンサートを行う事になり、前日、名古屋入り。
時間を持て余し、ホテル近くのスナックのドアを開ける。
まだ、お店を開けるか開けないかくらいで、
マスター一人で、なんだかバタバタしていた。
永ちゃん、迷いながらも
「すみません。ちょっと時間早いですか?入ってもいいですか?」
マスター「あっ…いいけど….」
マスターと二人きり….なんだか、重い空気
永ちゃん「すみません。ジン下さい。」
マスター「….」
開店準備をしながら….面倒くさそうにつくる。
「すみません」とジンを頂く、永ちゃん。
ジロジロ見るマスター….
永ちゃん、気まずくなり「あの、なんだかすみません。早く開けて頂いて…」
マスター、苦虫を噛んだような顔から、突然話出す。
「あのねぇ~、あんたみたいのよく来るんだよ、この時期。
ほら、明日、矢沢永吉来るだろ。
だと前の日くらいから、 あんたみたいに、成りきりヤザワが増えて
…イラッとするんだよね、正直!!
まぁ、俺も、切符もらったから、明日行くんだけど….
ヤザワのライブ見に行く度、あんたみたいな人ばかりでさ、
あれだけはやめてほしいんだよねぇ。
…って、好きでやっているんだから、とやかくは言わないけどねぇ….」
そう、マスターは、矢沢永吉本人ではなく、
コンサートおっかけの 永ちゃんファン
いわゆる「成りきり永ちゃん」
だと勘違いしていたのだ….。
そして、名古屋ライブ 永ちゃんライブMC
「…昨日、名古屋に前ノリしまして。
時間持て余して、 スナック入ったんだけど….そこのマスターが、
ヤザワのカッコから 話し方までモノマネするファンと勘違いしちゃって….」
とつとつと話す永ちゃん。
お客「誰だ、そいつ!!」「どの、店だ!!」「どこ、目つけてんだ!!」
永ちゃん続けて
「なんかねぇ…今日、会場見に来るって言ってたから、
今言うけど….今夜10時30分に行くから…」
お客「誰だそいつ、手あげろ!!」
名古屋のライブ大盛り上がりで、シャワーを浴び、
一人でスナックに 向かう永ちゃん。
そして、10時30分ドアを開ける…と
「すっ、すみませんでした。。。。」
土下座し、頭を床にすりつけ謝る….マスター….が
この話は、永ちゃんのコンサートのMCで時々出てくる面白い話です。
でも、この場面、映像で見たかったぁ~~。
でも、僕も永ちゃんライブは10本くらい行ってますが、
会場の7割は、永ちゃんです。
武道館の時は、九段下の駅自体が、永ちゃんに染まるのですよ。
これこそ、本当のカリスマですね。
「あ~いう風に、なりてぇ~」
この感じがお客さんから出ているアーティストは、本物なんですね。
それにしても、ステージの永ちゃん。普段の永ちゃん。
この振り幅、見たかった!!