男の中の男「河島英五さん」との出会い

■河島英五さんNHK「スタジオ・パーク」にて…

「今度?? あのね、今度ってないんですよ! も~」
…あれは、90年代中盤の頃でしょうか?  今は亡き河島英五さんが、NHK「スタジオ・パーク」にて話されていました。

河島英五さんの下には、年に何人ものミュージシャンが「自分の曲を聴いて下さい」とか、「プロになりたいです!」と売り込みに来るそうです。
中には移動中の新幹線の中で御願いにあがる者もいて、その情熱に押され河島英五さんは断る事なく対応し、「解った!じゃ、今、ここで歌って!」と言うと、殆どの人が「いや、今は、ちょっと」とか、「ここでですか?…新幹線では迷惑がかかります」とか、「…朝なんで声が出ません。今度こそは…」とか、「テープだけでも聴いて下さい」とほぼ100%の人が言い訳はじめちゃうそうです!! 「そういう奴は、そこで終わり!!」あとは、一切話を聞かないそうです。

あと「実際やっても、ギターの小細工ばかりで、気持ちが、どーんとこないん奴も駄目! 躊躇する子も駄目や!」…と。そして最後に、河島英五さんは…
「人生1度しかないチャンスなら、今、本気出さずどうする? もし、新幹線内でもオレなら大声で歌うよ。 そして、皆さんに謝ればいい! 声が出なくても、声を潰す本気さに、相手が貴方に惹かれるかもしれない。そしたら….次のチャンスが来るんだよ。」 「人生、ワンチャンス! タイミングも、ワンチャンス!」

勿論、当時、河島英五さんにはお会いした事もなかったのに、TVから「強烈な本題」を与えられた感じで、正直、怖かったです。

■河島英五さんとの、突然の「出会い」

そのTV視聴から3~4年?経ったある日。あの河島英五と会うチャンスが舞い込む。                           
…正直言うと、僕はその頃、歌への情熱をなくし、夢も尽き、歌声も忘れていました。来る日も来る日も港での力仕事。そんな時期、河島英五さんのドラムを叩いていた先輩がいて2000年11月16日「江戸川区民センター」河島英五ライブに招待して頂いたのです。

ライブは夜からですが、先輩から「英五さん、紹介するから、お昼から来てね」…会場到着すると、じゃ行こうという事で… 「トントン…トントン….」 ドアが開く先には、あの河島英五さんが。
河島英五
「ありがとう。わざわざいらして頂きまして。じゃ、打ち上げで、歌って下さいねぇ!」 こんな何処の馬の骨かも解らない小僧に敬語で、そして物凄い「大きな笑顔」を輝かせて下さり圧倒されました。 花に例えるなら見事な満開!まさに、スター!!

他にもアイドルの卵みたいな可愛い子達もいたけど、何故か俺にだけ話しかけて下さり…そして、「あっそう。あとで、楽屋きて弦はってやぁ。」と言われ、「はい!」としか言えず…

■河島英五さんの「教え」

緊張で表情から硬い俺に、河島英五さんは「うちの弟と同じ名前だよ。」 そして不器用な手つきの俺に、丁寧に独自の弦のはり方を、イチから教えて下さりました。 次にギターを弾くように言われ弾くと、「ぺけぺけ弾くな。ストロークはベース音へのアタックが命やからな」

途中、話しの中で気になったのか、「お前な、さっき絶対ってゆうたけど、果たして絶対ってあるんか?」と、持論を織り交ぜ、今より多少、ハスに構えがちな俺と向き合って下さり…(河島英五さんは、高校時代、大阪で弁論大会優勝)そして、「なんか、歌ってや!!」と、ギターを渡されました。

俺は音楽はやめていましたが(やめていた時期=1998年~2005)あの日のTVを思い出し、この日は、朝8時にスタジオに入り声を作ってからライブ会場に来たので、「これでもくらえー」って感じで、気合いもろとも叫びました。

と、河島英五さんは聴きながら、「よっしゃ。腹の底から、もっと、もっと腹からぐわっーと行け!」 俺はノン・ストップで、ぐわぁーぐわぁーと叫びまくり、河島英五さんは胡坐をかきながら、「もっとや!もっと!」と気合い注入。

英五さんは 「でもなぁ~今みたいに、突然やれって言われて本気で来た奴、本当、珍しいよ!! 殆どの奴は躊躇するからなぁ。 …お前なんかくるよ。まぁ~お前より上手いのは全国に沢山おる…けどなぁ…。 じゃー、発声教える!!」

ご自身もライブリハーサル前だというのに「河島英五流発声練習」を繰り返し繰り返し、身体をはって教えて下さりました。 そして、「よし、俺のライブ見て何か感じてや!」と、チャンピオンの目と微笑みを…。

■2000年11月16日 江戸川区区民センター 河島英五ライブ(河島英五東京ラストライブ)

ライブでは、これでもかっていうほど絶叫! 中でも圧巻だったのは、お客様との掛け合いで「おーい」と言ったら「おーい」と返してというやりとりの中で、河島英五さんがおそらく8小節くらいを「お~~~~い」と切らずに叫び、そして、次の曲へ入っていった事!! これは、普通出来ません。プロアマ問わず!!

かと思えば、MCで、優しく語り歌う「英五節」を解説!
(※英五節=ささやき。 …空中にグラスが浮いたイメージで、落ちないで落ちないでって、優しく、壊れないように吹き掛け歌う方法。)
…もしかして、俺に言っているかもしれないなどと思い、メモをとりながらの観戦でした。

….帰り、楽屋に挨拶に行くと、河島英五さんが、「おとつい吉野川の釣りのロケで水飲んでから調子が悪いから、最終で大阪帰るわぁ」と…

メンバー関係者との挨拶の後、こんな俺に「また、今度歌ってや。いつでも、遊びおいで。」と、お疲れであるはずなのに、大きな大きな手で男らしく握手して下さりました。 大きく手を振り、去っていかれた河島英五さん…
それが「出会いでもあり、永遠の別れ」でもありました。


….あの2000年11月16日のライブが、河島英五さんの東京ラストライブになりました。
それから5ヶ月後、2001年4月16日、帰らぬ人に。

■「男の中の男 河島英五さんへ」

河島英五さん。あの日の僕は、精一杯貴方の前で歌いました。が、情けない話、音楽に未練あれど、諦めた身でもあり、誠実な貴方の目を真っ直ぐ見られませんでした。
自分が、もう一度ステージへ戻ったのは2006年4月12日(新大久保クラブボイス) 今はお陰様で、それまでの音楽人生とも、ステージとも違うものになってます。
「目指すシンガーは河島英五…貴方です!!」

日本語で解りやすく、そして世間様に問いかけるよう、心がけてます。そして、人間的にも貴方のように大きくなりたい!!
困っている人がいたら手をさしのべ、本気には本気で向き合い、笑顔と汗を大事に歩みたい。

そして何よりも、元気でバリバリ声の出た最後のライブを近くで見させて頂き、東京最後の河島英五さんに直に教えて頂き、感謝がつきません。

河島英五という、本物に出会え感謝してます。
男の中の男、河島英五永遠なり!

■「酒と泪と男と女」(岸哲蔵 カバー曲)