同じ日に生まれた二人~矢沢永吉とミスター牛丼(安倍修仁)

…岸哲蔵は、「誕生日オタク」 365日、ある程度の有名人や友人知人の
バースデーを記憶している。
「何故、覚えたのかぁ?」…それはまた、いつかブログで書こう。
それよりも、同じ日にこの世に生まれたもの同士には、共通項が多い。
今日は、ROCK界のカリスマ、矢沢永吉と、同じ日に生まれた男の話をしよう。
…その前に…。

■同じ日に生まれた二人~矢沢永吉主な年表~

広島に生まれる。父は原爆後遺症の為亡くなり、
母は離婚で家を出た為、祖母と暮らす。
貧しい中、子供の頃から働き、不良グループに属しながらも、
音楽と出会う。そして、人生を変えるべく工業高校卒業後
「片道切符」で「横浜」へ。

タコ部屋からのスタートも、チラシを貼りメンバーを集め、
4つ目のバンド「キャロル」にて、1972年デビュー。スターに。
1975年キャロル解散。同年、ソロデビュー。

1978年「時間よ止まれ」大ヒット。同時期、小説「成り上がり」
も売れに売れ、29歳、時代を掴む。 1980年アメリカ進出。日米で活動。
1988年~日本に再び本拠地をうつし、東京ドーム、
イギリスのウェンブリー等大会場でもライブ。
ドラマ、映画にも進出。
また、日本武道館公演132回は、ダントツ1位。

1998年、豪州のビル建設に伴い、34億円詐欺にあうが、返済。
現在66歳になっても、そのバイタリティー、カリスマ、歌声は勿論
大手CM等、活躍に衰えはない。

■同じ日に生まれた二人~「ミスター牛丼」安倍修仁~

福岡県に生まれる。安倍修仁もまた、永ちゃん同様音楽と出会い、
工業高校卒業後、上京。
当時としては珍しいR&Bのバンドを結成。
スターを夢見ながら、「吉野家」にてアルバイト。

その物凄い働きぶりが認められ、松田瑞穂(吉野家創業者)に採用され、
1972年正社員に。
1977年九州地区本部長。その活躍が認められ「アメリカ200店舗構想」もと、
アメリカへ先兵隊として渡る。

1980年、同社の会社更生法の適用申請を経験。
これに伴い安部はにわかに米国から召還。
1983年取締役開発本部長に就任。
その後セゾングループの出資により再建された同社で、
1988年取締役として参画、常務取締役。

日本ダンキンドーナツ社長を経て、
1992年当時42歳で代表取締役社長に生え抜きとして就任。
以降、22年間にわたり吉野家の経営を指揮し「ミスター牛丼」と称された。

安部は牛丼単品主義で「早さと安さ」を追求。
同社の営業利益率10%超の高収益を実現。

2003年、アメリカ「BSE問題」で米国産牛肉が輸入禁止となる。
他社は、豪州産で牛丼を出し続けたが、
安部は「牧草で育てる豪州産牛にしたら、別のテイストの牛丼になる。」と
米国産牛肉に拘り、国内在庫が尽きた、
2004年 2月11日からは同社は牛丼の発売を停止。
2008年、牛丼再開。

2007年、持株会社化により、吉野家ホールディングス代表取締役社長に就任。
2010年、株式会社吉野家の社長を兼任。
2012年、吉野家ホールディングス会長に就任。
2014年、HD会長を退き、取締役から外れ、
同年8月31日付で事業会社「吉野家」の社長からも退く。

吉野家

新卒採用を経ていない非正規アルバイトからの叩き上げで社長。
特に、東証1部上場企業において非正規雇用出身者が経営トップに就くのは非常にまれ。
他に、東証1部上場企業において、非正規雇用から代表取締役等のトップに就任した例は、
ブックオフコーポレーションの橋本真由美(タレント清水国明の実姉)

■同じ日に生まれた二人/矢沢永吉/ミスター牛丼

同じ日に生まれた二人は、実に似ている。
同じく音楽を目指しての上京。
若くしての出世や、型破りな成功術とブレナイ理論。
アメリカ進出。豪州での苦戦。
しかしながら、めげず、60歳を過ぎても現役で第一線を走り続けた二人。

人間には、もしかして運命数的なものがあるかもしれない。
勿論、当人の努力や気付き次第だが。
僕は、この誕生日を極める中、自分へのアイデアも磨きたい。
さぁ~、もっとこの誕生日という数字を磨くぞ!!
(安倍修仁氏については、wikipedia等、参考)