■「小1~3年/将来の夢」
幼少期の頃と同じく、本音と建前は別。
[建前]
プロ野球選手。小学校入学早々、
ふわっふわの赤毛の地毛を切り、
5部刈り。イメージは中畑(巨人)と、
大門刑事(渡哲也/西部警察)
目標入団先、近鉄。
[本音]
アントニオ猪木のようなプロレスラー。
高校卒業後、新日本プロレス入団。
[現実]
小学校低学年の頃は、野球とプロレス以外、
何も興味が持てませんでした。
この頃夢中になっていたのは、草野球。
毎日、家の庭に7~8人集まり、三角野球。
陽が落ちるまで、アウトだセーフだ
膝擦りむきながら、駆けまわってました。
父が野球嫌いだったので、
キャッチボール相手がいなく、
友達が帰ると、家のコンクリートの壁に
ボールをぶつけ練習してました。
一時期、大学生が下宿。
この人は、野球が好きなはずでしたが、
僕のキャッチボール相手が辛いのか、
夕食間際に帰って来る様になりました。
体力を満たしきれなかったのか、
近くにある河川敷でマラソンをする様に。
勉強は嫌い。
読んでいた本は、プロレス大百科、
プロ野球選手名鑑。
兄は優秀で、あだ名が学者。
小3で夜11時まで勉強してましたが、
僕はナイターが終わると、
風呂に入り寝てました。
■「小4~6年/将来の夢」
[建前]
プロ野球選手….。
[本音/妄想]
アントニオ猪木のようなプロレスラー。
高校卒業後、新日本プロレス入団。
3年間、鬼軍曹/山本小鉄の修行に耐え、
アメリカ/テキサス遠征。
ファンク兄弟が仕切るアマリロでファイト。
荒馬を乗りこなす様なレスリングから
テリーファンクに「ロディオ」と呼ばれ、
リングネームを「ロディオ岸」にする。
最後の仕上げで、フロリダにある
猪木の師匠/カール・ゴッチ道場にて特訓。
2年間の修業を終え、凱旋帰国。
後に、プロレス界を代表し、
ボクシング世界王者と異種格闘技戦を
行い、勝利。この頃の予定身長191cm。
[新聞]
小4、学校で選ばれ、毎日新聞にて
「ボクの夢」が掲載される事に。
この時は、喜んだ振りをし、
両親にも伝えましたが、
実のところ、悩みました。
大人が出勤前に読む新聞で、
世間知らずの能天気な子供っぽく
プロ野球選手になりたいとは、
書けない。
ましてや、プロレスラーなど
書けるはずがありません。
ここは、両親の顔を立てなければ!
とは言え醤油やを継ぐなど、
口が裂けても言えない。
そこで、父が20代の頃、
帝国ホテルやシド(TBS会館)の
コックだったので、
「フランス料理のシェフになりたい」
と書く事にしました。
お店のイメージはTVで紹介されていた
神戸のフレンチレストラン。
新聞では「ボクの夢は、神戸で
フランス料理のお店をやる事です」
写真撮影の日、母がこの日の為に買った、
白のブラウスにラテンな感じの
赤と濃いブルーとエメラルドの
曲線が入った服を着て行きましたが、
新聞は白黒。
そこには、ぎこちない作り笑顔の
小僧が写っていました。
[現実]
4年から地元の野球のスポーツ少年団
「中部学童」(興譲小)入部。
試合には5年春からちょこちょこ出場
(二塁、遊撃の控え)
上手な先輩が多く、小4~5の時、
2年連続地方大会優勝(3市4町32チーム中1位)
県大会連続3位。
ところが、僕が6年の時は、地方で敗退
(遊撃、2番手投手/3番)
野球は好きでしたが、正直、俺クラスじゃ、
プロは無理だなと思ってました。
しかし、野球の代わりに、燃えられる
スポーツと、5年のオフシーズン(冬)
出会うのです。
~つづく~